これはとてもよく出来た映画だ。なんだかよく解らないまま、とても小さな作品世界に引き込まれていき、たった数人で完結する世界の不思議な絆の中で翻弄されていく。
お話のトリックがよく出来ているだけでなく、主人公達の内面世界も、しっかり描き込まれているから、仕掛けで見せるだけでなく、切ない人間ドラマとしても成功している。そんなことは当たり前のことかも知れないが、それってなかなか難しく、うまくいっている映画は少ない。しかも、それをスマートに見せなくては意味がない。(先日の『プレステージ』はよく頑張っていたがこちらのほうが上手だ)
大学進学のため仙台に引っ越してきた椎名(濱田岳)が、隣に住む住人河崎(瑛太)から反対側の隣に住むブータン人の話を部外者として聴いていただけのはずなのに、いきなり話の世界に巻き込まれていく。ブータン人のためにモデルガンを片手に、本屋を襲撃することになる。広辞苑を盗むためにである。この荒唐無稽なオープニングから一気に、椎名ともども我々も作品世界に引き込まれていく。
そして、ドラマはその後の日常描写の中で、秘かに更なる進行を深めてゆき、思いもかけない大展開を遂げていくことになる。巻き込まれ型のドラマなのだが、語り部の河崎の語る話があまりによく出来すぎていて嘘くさい。調子よく彼に付き合ううちに気付けば椎名もこの物語の住人になっている。
映画の後半、河崎が実はブータン人の留学生ドルジだと解り、彼が本当の河崎のことを話し始めるところから、俄然面白さが増す。今まで見てきたことがすべて、嘘とまではいえないけれど、立場が微妙に変わることで椎名の中で組み立てられてきた世界の全てが崩れていき、そこからほんとうの話が見えてくる。そんな中で椎名はこの『悲しい話』を自分自身の問題として受け止めていく。
ディランの『風に吹かれて』に導かれた運命の物語は、椎名が出会う以前に死んでしまっていた琴美(関めぐみ)を巡る椎名の片思いというだけでなく、一緒に暮らしていたにもかかわらず、ドルジの彼女への片思いの物語としても完結していく。(この書き方では、解り難いかなぁ)
これは今は不在の河崎(松田龍平が演じている)と琴美のことを椎名とドルジが追悼するという物語なのである。彼らが2人の思い出をコインロッカーに封じ込めるラストシーンが胸に痛い。
お話のトリックがよく出来ているだけでなく、主人公達の内面世界も、しっかり描き込まれているから、仕掛けで見せるだけでなく、切ない人間ドラマとしても成功している。そんなことは当たり前のことかも知れないが、それってなかなか難しく、うまくいっている映画は少ない。しかも、それをスマートに見せなくては意味がない。(先日の『プレステージ』はよく頑張っていたがこちらのほうが上手だ)
大学進学のため仙台に引っ越してきた椎名(濱田岳)が、隣に住む住人河崎(瑛太)から反対側の隣に住むブータン人の話を部外者として聴いていただけのはずなのに、いきなり話の世界に巻き込まれていく。ブータン人のためにモデルガンを片手に、本屋を襲撃することになる。広辞苑を盗むためにである。この荒唐無稽なオープニングから一気に、椎名ともども我々も作品世界に引き込まれていく。
そして、ドラマはその後の日常描写の中で、秘かに更なる進行を深めてゆき、思いもかけない大展開を遂げていくことになる。巻き込まれ型のドラマなのだが、語り部の河崎の語る話があまりによく出来すぎていて嘘くさい。調子よく彼に付き合ううちに気付けば椎名もこの物語の住人になっている。
映画の後半、河崎が実はブータン人の留学生ドルジだと解り、彼が本当の河崎のことを話し始めるところから、俄然面白さが増す。今まで見てきたことがすべて、嘘とまではいえないけれど、立場が微妙に変わることで椎名の中で組み立てられてきた世界の全てが崩れていき、そこからほんとうの話が見えてくる。そんな中で椎名はこの『悲しい話』を自分自身の問題として受け止めていく。
ディランの『風に吹かれて』に導かれた運命の物語は、椎名が出会う以前に死んでしまっていた琴美(関めぐみ)を巡る椎名の片思いというだけでなく、一緒に暮らしていたにもかかわらず、ドルジの彼女への片思いの物語としても完結していく。(この書き方では、解り難いかなぁ)
これは今は不在の河崎(松田龍平が演じている)と琴美のことを椎名とドルジが追悼するという物語なのである。彼らが2人の思い出をコインロッカーに封じ込めるラストシーンが胸に痛い。