神原さんのカンパニーによる公演である。7月の公演に続いて、早速もう次回作が上演された。3月、7月、9月と今年3本目である。この後も11月に新作の公演が決まっている。コロナの影響で芝居の公演は中止や延期が常態になってしまった現状の中で、彼女だけはすべて予定通りに公演を行っている。これは異常だ。困難をものともせず、自分たちのペースを崩すことなく、芝居をやり続ける。ありえないことをありえさせるのだ。無謀と言われようとも、やれるものなら、最善の手立てを施し、やる。それが彼女の生きる道だ。
今回の公演は「浮狼舎」名義での公演である。7月は「すかんぽ長屋」だった。そして、次回は「神原組」。この3つを使い分ける。以前はこの3つを内容だけではなく、メンバーも使い分けていたけれども、今ではほとんど同じメンバーが集う。彼女の生き方に賛同する同志が集まる。気心の知れた仲間が常に彼女をサポートする。なんだか素敵だな、と思う。(実はそれだけではなく、彼女はさらに、福井でも定期的に公演を打ってきた。)こんな時代なのに、彼女だけは変わらない。ずっと変わらず【劇団】という体制を維持する。
そして、芝居の内容も変わらない。今回はファンタジーのような作品だけど、描くべきものは変わらない。それに劇中で人は死なないように見えたけど、やはりどんどん死ぬ。見終えてなんだかなぁ、と思いつつも、やはりこれでなくては神原ワールドじゃないよな、なんて。
今回1時間ほどの小品が実にうまく収まり、内容と尺の幸福な融合がなされた。この小さな作品が胸に沁み入る。この小さな空間(Theater cafe信天翁)ともマッチしている。それは方法と作品の幸福な融合でもある。
今回のヒロインは、なんと安宅姉妹である。今まではバイプレイヤーだった彼女たちを初めて中心に配して芝居作りをした。それが成功している。死者の国と、現実の世界を行き来して、生まれ変わりや、残酷な出来事(なんとプロレタリア文学の名作、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』をお話の中心に据えた!)を通して、それでも幸福なラストへと繋げる。(あんなに死ぬのに!)さすが神原さんだ。タイトルになった壊れた夜空に想いを寄せる。現実の星空ではなくても見上げたならそれがある。それを見上げて心を和ませる。それだけでも大丈夫だ、というメッセージだ。(決して大丈夫ではないけど!)