この6月の下旬の2週間は怒濤の読書ラッシュで、そこで読んだたくさんの本の中で、これが一番面白かった。ここで描かれるのはある家族のコロナ禍の日々の記録だ。ついこの間、しかもまだ現在進行形の災厄、その日常がそこには綴られる。大きな事件はない。昔の友人と再会したことぐらいだ。若かりし日の大切なできごと。ふたりは病院を抜け出して旅をした。『逃亡くそたわけ』である。これは一応はあの小説の続編なのだ。だけどそんなことは過去の話でここに描かれるのは今の別々の場所で生きる彼らだ。ふたつの家族。2020年から21年までの2年ほどのあれこれが描かれる。
『逃亡くそたわけ』の主人公、花となごやんのその後を背景にして書かれてある。でも、正確には続編ではない。あの話とは完全に切り離されている。20代のめちゃくちゃな冒険が描かれた前作とは打って変わり、ここにあるのはさりげない日常生活のスケッチだけだ。一応あの小説の続編なのだが、前作とはまるでタッチが違うし、前作を読んでないほうが素直に読めるのではないか。
あれから20数年後。40代になったふたりはそれぞれ別々の場所でそれぞれの人生を過ごし暮らしてきた。たまたまスーパーで再会する。お互い結婚して家族を作っている。こんなところで出会うなんて思いもしなかった。だが、ふたりが運命の再会をし、そこからドラマが生まれるわけではない。なんとなくつきあいは始まるけど、家族単位での付き合いで、恋愛とかはない。男女間で生じる友情を描くのだが、それだってサイドストーリーでしかない。あくまでもお話の中心は花とその家族のお話なのだ。
10歳の娘と夫。時々なごやんの家族とも付き合う程度。あの「くそたわけ」なふたりが「まっとうな人生」を送っている。コロナ禍という非常事態と向き合い(でも、それは彼らだけではなく、すべての人たちの体験した、していることだ。)先の見えないコロナの時代をどんなふうに生きたかという記録。5年、10年先の未来にこの小説は貴重な記録になるかもしれないけど、今は誰もが心当たりのあるできごとのただのスケッチでしかない。なのに、それがこんなにも面白いのは、僕たちが生きている日々がそれだけで刺激的だという事なのだろうか。