重厚な時代劇大作だ。公開がコロナのせいで2年間も延期になり、ようやくの劇場公開である。待ちに待った本格時代劇なのだが、思いのほか地味で小さな映画だったので驚く。スケールの大きな作品だと勝手に思い込んでいた。でも、この作品はそうではない。ひとりの男が信念を貫き、殉じた。その事実を丁寧に追いかけただけ。大仰な感動巨編を目指すあざとさはない。彼が何を思い、何を感じ、考え行動したか。自分の信念を曲げず、みんなを諭し、武士として正しい行為をする。冷静に時代を見極め、何をなすべきか打算ではなく、きちんと見つめ決断を下す。時代の流れにおもねるのではなく、幕府の判断(徳川慶喜の大政奉還)の目指した新しい時代に必要なもののために戦う。強い者に付き従うのではない。正しい道を探る。きれいごとかもしれない。でも、そこでなんとかして生き抜く術を探り、戦う姿勢をみせる。
河合継之助(役所広司)は薩摩と長州の強引なやり方に組せず、民衆の側に立つ。彼らが安心して生きられるような場所を作るために戦うのだが、多勢に無勢で、最初から勝ち目はない。和平を目指すも、受け入れられるはずもない。映画のクライマックスは、政府軍の軍監、岩村精一郎(吉岡秀隆)との対面のシーンであろう。そこでは2人の役者の一騎打ちだ。凄い緊張感が持続する。言葉ではなく気迫が伝わる。まさにそれは役者、吉岡と役所の対決なのだ。(あの吉岡秀隆が、こんな芝居をする役者の成長しただなんてそれだけで感慨深い)
だが、談判に挑んだ継之助はここで万策尽きる。ここでのふたりの対決は最初から受け入れられる余地はない。もう少し相手を信じさせるだけの何かがなかったのか。いくら役所広司(継之助ではなく役所!)が誠意を見せても、これでは相手を説き伏せることは不可能だ。無策で挑み敗退するなんて、なんだかなぁ、である。そしてこの後、開戦に臨むことになる。でも、最初からこれは負け戦だ。彼は中立の立場を貫き、なんとかして戦争を防ぎたいと思ってきた。でも万策尽き開戦やむなし、という結論に至る。勝てないけど負けない、なんていうが、勝てない以上負けるしかない。ならば戦うべきではない。結果的に彼は自分の信念のために民衆を巻き込んでいる。これでは本末転倒だ。
この映画が描こうとしたことはわかるけど、これではなんだか納得がいかないのだ。だからラストで彼が自死してもなんとも思わない。自業自得で、仕方ないとしか思えない。フィルム撮影された映像は素晴らしく合戦シーンも見事だ。さすが黒沢イズムを受け継ぐ小泉堯史監督の采配は見事。映画も役者もとても素晴らしい。だけど、完成した映画自体には納得がいかないのも事実で、そこがとても残念だ。