2時間半の壮大な妄想劇だ。延々と悪夢が連鎖していく。そこには理由はない。(まぁ、悪夢に理由を求めても詮無い話なのだが。)これはインフル病みの高熱のもたらす混濁した意識のなせる業か。彼の混迷は極まる。時間も空間も自在に飛び越えていく。今がどこで誰がどうしたとか、何がどうしたとか、あんたは誰なのかとか、もう、なにがなんだか。でも、その圧倒的なビジュアルに引き込まれ、スクリーンからは一瞬すら目が離せない。
インフルが家庭内感染し、息子も高熱に苦しめられる。妻もまたなんだかわからない狂気に囚われていく。シネスコサイズが、荒れた画像のスタンダードサイズになったり、モノクロにもなったり。妄想のなかで、入れ子になり、さらなる妄想が始まる。主人公である男だけではなく息子や妻の妄想もあり、混線する。妄想と現実が入り乱れ暴走する。噂の18分の長回しも圧巻だ。いきなり始まり、どこまで続くか、どこに行きつくのかもわからない。
だいたい、冒頭から何度となく描かれる満員のバスの中でのドラマがまず怖い。あのバスはどこに向かうのか。そこで何が起きるのか。いきなり9歳の女の子に暴力を振るう、とか。そう全編が暴力とセックス。いきなり母親が息子の喉をかき切るシーンでは悲鳴を上げそうになった。あまりに唐突で衝撃的。誰もが普通なのに、ひとりだけなぜか裸の男とかも。意味はあるといえばあるけど、ないといえば絶対にないし。すべてが彼の見た悪夢。だから整合性はいらないのだろう。自由奔放に時空を行き来し、現実と妄想はごっちゃになり、交錯する。こんなバカなことが、と思いつつも、そこにある真実から目を背けたくなるのに、しっかり見ている。
最初はここにちりばめられたいくつもの過激なイメージが何を象徴し、それがどこにつながっていくのかと、パズルを解くような気持ちで見守っていたが、やがてあきらめた。これは謎解きではない。謎だらけで収拾がつかないし、つける気もない。残酷なシーンや、意味のない裸が横行する。そこに意味を見出すのは簡単かもしれないが、それで納得するかというと、そうではない。だから、もう考えない。夢の中のお話に意味付けが意味をなさないように、この映画の解読には意味はない。とあきらめると楽だからだ。
最後まで見て、「えっ?これで終わり、」と思う。そこまで徹底している。この映画と並行して東山彰良『怪物』を読んでいたのは、もちろん偶然だ。でも、いつものことだが、たまたまよく似た傾向の映画と小説を同時に見る。インパクトはこちらのほうが大きい。あまりのことに唖然とする。現代のロシアでこんな大胆な映画が作られた。でも、こんな映画を作ってしまうから弾圧され、国を追われることになる。キリル・セレブレンニコフの妄想が炸裂し、暴走する。衝撃的な傑作。先日見た『メタル』といい、これといい、2021年のカンヌ映画祭出品作品から過激でショッキングな映画が続く。