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映画・演劇のレビュー

東山彰良『怪物』

2022-05-11 09:11:18 | その他

手にしてから1か月近く放置したままだったがようやく重い腰を上げて読み始めた。かなり内容が重そうだから先送りしていた。ほかにも読みたい本は山のようにあるから、ついついそうなる。きっかけがなくては読めない。先に読んでいた妻がもうこれはいいや、というのでそれを合図にして読み始めた。彼女が読んでいた120ページのところまで一気に読んで、「たしかに、これはなぁ」とため息つく。450ページに迫る長編だ。僕も読むのをやめようかな、とも思うのだが、いつもの癖で途中でやめることができない。仕方なくさらに読み進める。

冒頭のインパクトと、なかなかお話の本題に入らないまどろっこさ。タイトルにある「怪物」がなんなのか、なかなか明らかにならないもどかしさ。複雑に錯綜するお話の展開から、なんだかとっ散らかった過去と現在が交錯する。まぁ、それはそれでよくあるパターンなのだけど、どういうふうに交錯しているんだか、それすらも明確にはならないから、やはりなんだかとっ散らかった印象ばかりが残り、イライラさせられる。しかも現在の自分のお話がなんだかつまらないのに、かなりそこに比重が置かれるし。編集者の女とのラブ・アフェアとか『失楽園』じゃないんだから、どうでもいいし。

「鹿康平(ルウ・カンピン)が怪物を撃ったのは一九六二年のことだった」という書き出しからこの小説は始まる。「この小説」というのは主人公の作家が10年前に書いた『怪物』という作品のことである。これは冒頭からそういう2重構造になっている。しかも、この書き出しの前にある前書きの冒頭でこれは夢オチだからね、という但し書きのような記述がある。周到に用意され、計算づくの構造なのだ。読者を混乱させ、困惑させる。鹿康平のモデルはこの小説の主人公である作家(柏山康平)の叔父だ。台湾空軍パイロットだった彼が中国の広東省上空で撃墜された事件がお話の核心に描かれる。彼が文革前60年代初めの地獄のような中国からいかにして脱出するか、というサバイバル小説ならわかりやすい。だが、そうではない。香港経由で台湾に戻るまでの冒険が描かれるのではなく、空白の3年間の謎を解き明かそうとする作家の現在が描かれる。10年前に出版されたが評判にもならなかった作品が今になって再評価され、文庫になる。編集者から書き直しを依頼され、大幅な改稿をするために事実確認や、謎の解明を図る。そこで出会った編集者の女性との恋愛ドラマや、彼を訪ねてきたある女性に導かれて、あの当時の叔父のことをよく知るという老人(その女性の祖父だ)のもとに向かうドラマが描かれる。

確かにお話自体は徐々に怪物の正体へとは近づくのだが、やはりもどかしい。台北にいる彼の従兄が昔小説家を目指していたが挫折したことや、実はこの小説はその従兄が書いたもので、彼はその小説の登場人物に過ぎないのではないか、とか、いろんな方向にミスリードされていく。現実と妄想が混濁していき、そこに明確な説明はない。終盤では、彼の手を離れて鹿康平の話に流れていき、そのまま終わる。確かにそこが核心なのだけど、では主人公であるはずの作家はただの狂言回しでしかなかったのか。そこも曖昧なままだ。430ページに及ぶ長編だが、引っ掻き回されただけで、テーマが見えない。エンタメ作品のはずなのに、楽しめない。中国と台湾のお話に日本にいる作家が巻き込まれるという図式は面白い。読みながら村上春樹の『ねじ巻き鳥クロニクル』を連想させられた。でも、あそこまで幻想的ではない。

冒頭の2,30ページで、実はお話のすべての要素がぶち込まれてあることに読み終えてから気付いた。だけど、最初は、いきなりなので、なにがなんだかわからない。その後の400ページはその迷路の中で、右往左往するばかりだ。この混沌を楽しめるとこの小説は最高のエンタテインメントのなるのかもしれないのだけど。


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