一応、101分、ラストまで飽きることなく見ることはできたけれども、ストーリーに無理がありすぎて、なんとかつじつま合わせをするだけで精一杯。突っ込みどころは満載だ。主人公2人があまりに美形すぎて嘘くさいんだけれども、こういう夢物語なのだから、そこは触れない。というか、それこそが大事なところかもしれない。2人のファンの女の子たちが喜ぶだけで、映画としては十分なのかもしれない。これは一種のアイドル映画なのだろう。
そういう意味では、今日たまたま見た『午前0時にキスしに来てよ』にも同じことが言える。橋本環奈がかわいいからそれだけでいい。ヒロインに感情移入してあり得ないお話も受け入れる。いや、そんなお話だからこそ、夢見心地で受け止められる。もちろん、作り手が巧みでなくては乗れないだろうけど。監督は新城毅彦だから信用できる。(実は、僕がこの映画を見た理由はこれが彼の映画だからだ。
ヒロインに感情移入してこの100%嘘っぽい話を受け入れたなら、これはただの夢物語だから、どんだけ突っ込みどころがあろうとも、気にしないで見ることが出来る。それどころか、夢の話なのだから、整合性なんかいらない、と無視して見ればいい。とても便利な話なのである。どれだけやろうとも構わないから、ラストでは彼女が成人するのを3年も待って再び迎えに行く、とかいう、もうあり得ないような展開だって納得する。これはある一種の『ローマの休日』なのだけど、夢が叶う、という夢物語。
さて、『名も無き世界のエンドロール』である。
小学校の頃に出会った3人の男女がその後どうなっていくのか、という過去の話と、現在の話である彼らふたりが今日起こす事件(プロポーズ大作戦、と彼らは言っている)とが同時進行する。
まさかのラスト20分に向けての怒濤の展開は、女の子にとっての夢物語で、細かいところはいい加減に流して、描かれる。貧しかった青年が4000万円を簡単に稼いで、社長になったり、裏社会で才能を発揮したりと、もういろいろあり得ません。復讐の物語のほうも確かにあっと驚く結末ではあるけれども、あれでは啞然とする。映画は観客に心地よく夢を見させてくれるもの、という大前提を大切にして、嘘を承知で心地よくそれを見せてくれたならそれだけで、充分。暗闇の中で2時間ほど,至福の時を提供すること。久しくそういうあたりまえのことを忘れていたが、この2本の映画はB級映画だからこそ、正直にそんな基本を思い出させてくれた。やはりこれは岩田剛典と新田新剣佑のファンの女の子に特化した映画なのだ。もちろんそれでOKだ。