『一年の初め』や『ヤンヤン』のチュン・ヨウジェ監督の最新作。今回も痛ましい映画だ。人の心の襞に分け入って、さりげなくそのまま提示する。確かに主人公に寄り添うけど、そこにはある種の距離もある。その距離感が絶妙だ。主人公の青年がなぜ少年とその祖母にそこまで関わるのか。恋人だった男の息子と母親だから。死んでしまった恋人への罪滅ぼしのため。いろんな理由をつけることは簡単だ。だけど、そんな簡単な理由で説明はできない。
理不尽な警察の捜査に対しても言い訳をしない。あきらめているわけではない。だけど、わかってもらうことは不可能だし、わかってくれるわけもない。誤解を解くことは難しい。自分がゲイであることをカミングアウトしたところで、偏見を生むだけ。ただ自分は誠実にいきていたいだけ。死んでしまった恋人に妻子がいたことも、受け入れる。彼の母親や息子の世話をする姿が胸に沁みる。自分を抑えて、あのわがまま放題の他人の母親の世話をするか? ふつうならあり得ない。9歳の息子の世話はわかる。子供はかわいいし、彼の忘れ形見だから、自分が父親代わりになって彼を育てたいというのはわかる。なんだかいろんなことが理不尽。見ているだけでしんどい。でも、スクリーンから目が離せない。
映画は、感情移入を避けたのではない。感傷は避けた。そんな監督の采配が素晴らしい。お話が進むにつれて結果的に彼の心の深奥に迫ることになる。だが、そこでもいらぬ避ける。そして、主人公のジエンイーを演じたモー・ズーイーがいい。感情を表に出さない。でも、溢れてきてしまう。
映画は主人公の彼がすべてを背負い終わるのではなく、彼の理解者も現れ、釈放されるのもいい。辛くて苦しい映画のラストで差し込む光。そこに救いを感じる。