これはきついと思った。またまた凄いことをするな、とも。本屋大賞を受賞した前作『52ヘルツのクジラたち』も凄まじかったけど、今回はその比ではないと。だが、それすら甘かったと読みすすめていくうちにわかる。どこまでこの不幸は加速するのか。もう想像もつかない。冗談ではないレベルである。怖すぎて笑えもしない。
最初は『52ヘルツのクジラたち』。これを読んだとき、凄いと思ったが、後半で少し息切れした気がした。その後で読んだ『うつくしが丘の不幸の家』はよかった。どちらかというとこちらのほうが完成度は高いと思った。だけど、それはあれが短編連作のスタイルを取るからで、読みやすかったことにも起因しているかも、と今では思う。この『星を掬う』を読みながらこの怒濤の不幸の連鎖を前にして、僕自身にまだ覚悟が足りなかったのではないか、なんて思わされる。それくらい凄まじい。町田そのこの小説は、簡単な小説ではないのだ。彼女はきれいごとなんか言わないし、問題をどこまでも突き詰めていく。
DVから始まった。夫の凄まじいDVに遭う。そこから逃れるためになんとか離婚したけど、そんなことで収まるわけもない。男はどこまでも追いかけてきて、暴力で搾取していこうとする。でも、彼女は耐える。1章を読みながら、なんて愚かな女だろうと思う。誰かにすがればいい。警察でもなんでもいいから、明らかに相手が悪いのだから、と。だけど、そんな単純な話ではないことが明らかになる。2章で母親の話になる。母は幼いころ、家を出た。今、50代で認知症になった彼女と同居して世話をしている女性が登場する。お話は急展開していく。
自分を棄てた母親との再会。ここから始まる思いもしない展開。母親は2人の女性と暮らしていて、元夫の暴力で身も心もボロボロになった彼女もそこで暮らすことになる。20年間の空白の日々、母親はその間どんな人生を過ごしてきたか。同じように、母親を失くした後の彼女はこの20年をどう生きたのか。さらには今母親と同居しているふたりの女性たちの抱える問題までもが浮き彫りになっていく中で、お話はどんどん広がっていく。母親と娘の話が根幹にある。だけど、その母親と娘というのはひとつではない。いくつもの母娘がこの小説では描かれていくことになる。
認知症がどんどん進んでいく過程で、母と娘の関係がどういう形で変化していくことになるのか。記憶を失っていく母親のなかにある彼女の母親と自分との問題。そうなのだ、ここでも母と娘の問題が描かれていく。3世代の女たち。そこに、この家で暮らす2人のそれぞれの母と娘の問題が交錯していくのである。そこで描かれるのはなぜ断絶することになったのか、どういうふうにつながることが可能なのか、という問題だ。過去と未来を見つめることで、何が見えてくることになるのか。娘を救う、と同時に母を救う。そのために何が必要なのか。読み進めていくうちに『星を掬う』というタイトルが象徴するものがだんだん明らかになっていく。
終盤、エスカレートする、連鎖する、いくつもの問題が、ひとつの答えへと導かれていく。「私の人生は私のものだ!」という答えが大事なのではない。だけどそんなあたりまえのことが愛おしい。