こんなにも素敵な芝居にあまりお客が集まらない。今週はあまりにたくさん芝居がありすぎて、どれを選択すべきかで悩んだ人も多かったのではないか。僕も週末に7本見るべき芝居があり、ずっとどれをとるか考えていた。考えすぎてもうどうでもいいやなんて思うくらい。しかも、個人的なことだが、仕事がかなり忙しく土日はまるで動きがとれなくなってしまった。これでは、どれも見れないじゃないか。と、いうことでかなり無理して4本。その中で最初からこれだけは、と思っていたこの作品を最後に持ってきた。
前置きが長くなってしまった。この心地よい芝居について話ができると思うとそれだけで幸せな気分になれる。今年1月の『その公園のベンチには魔法がかかっている』に続いて、連作で新作を発表した大沢秋生の渾身の小品である。
大作ではない。ささやかな小品なのだ。前作は2時間の大作だったが、今回は初心に戻った昔ながらのニュートラル。大沢さんは不器用な人で、舞台に2人以上の役者を同時に立たすことが出来ない。自然と2人芝居が多くなる。たとえ3人が出てきてもその内の1人は必ず置いてきぼりにされる。彼は同時に2人以上の人を見れないのだ。
だから、彼が本領を発揮するのは2人芝居ということになる。上演時間にも今回は拘った。1時間10分、という長さがとても心地よい。長くもなく、短くもない。もっと見たかったのに、と思わす長さ。2人芝居で小さな世界を見せていくには、これ以上の長さはどうしてもくどくなり、しっくりこない。
主演は川田陽子と森崎進。この二人がコンビを組んだ記念碑的作品がニュートラルの第二作である『静かな場所』である。とても寂しい芝居だった。2人の男女の孤独が心の奥に突き刺さってくる。荒涼とした部屋で過ごす時間が見事に描かれた傑作である。あれから14年。もう1度初心に戻りこの2人とコンビを組んで大沢さんが仕掛けたのは、甘く優しい香りのする『幸福な場所』についてのお芝居である。
日本最北端にあるというコンビニが舞台だ。そこで働く女と、そこにやって来る男。この2人だけの物語。男は仕事でこの町にしばらく滞在している。女は生まれた頃からずっとここで暮らしている。彼はただここに来るだけで心が安らぐ。彼女はいつもここにいて彼に安心を与えてくれる。コンビニとはいっても、とても片寄った品揃えをした個人商店だ。ここには彼女しかいない。
暗闇の中で、何もないところに、ポツンと灯りが点っているこの場所は彼の心にも明かりをともす。いつも静かで、表情も変えずにここにいる彼女に心惹かれる。といってもこれはラブストーリーではない。もっともっと淡い物語だ。疲れてしまった心を無愛想な彼女が癒してくれる。全く自分に対して心を開いてくれない無愛想な女性(そんなのコンビにの店員なんだから当たり前だ)が、ただそこに存在しているだけで、温もりを与えてくれる。
男はその日から、仕事を終えて、夜になると毎日ここにやって来る。いつ来ても誰も客はいない。こんな寂しい町の片隅で、こんな夜に出歩く人はない。とても静かで心が落ち着く。時には彼女さえいない時があり、彼はうろたえたりもする。そんなふうにして日々は過ぎていく。
ある日男はロシアンティーを注文して「2人で飲みましょう」と提案する。彼は自分の昔話を語る。それは哀しい話だ。大きな震災が彼の住む町に起こり恋人が亡くなった。その時彼は仕事で家を空けていて彼女を一人にしていた。女もまた自分の昔話を語る。母の話だ。2人は、この国を出てシベリア鉄道に乗り、遠い旅にでることを夢想する。
2人はそれぞれの世界で生きてきて、今ここにいる。月夜の晩から始まった逢瀬は、次の満月の夜を迎える。物事には始まりがあれば、当然終わりもある。男はこの場所で暮らそうと思う。この幸福をずっと続けたいと心から願う。
昨年公開されたパトリス・ルコントの『親密すぎるうち明け話』は上映時間が104分ある。ルコントとしては破格の長さだ。『髪結いの亭主』が80分。単純なストーリーと無駄を徹底的に排除した構成、人物関係。そんな中で男と女の心の機微や情愛の深さを、さりげなく描いてみせる。ルコントの新作は『髪結い』の頃にはできなかったことに挑戦している。それは哀しい話のもう1歩先に踏み出すことだ。そのためには今までより、少し上映時間が必要だった。そうすることであの幸福なラストシーンを作ることが出来たのだ。大沢さんは今はまだそこまで行かない。だから70分の芝居を作る。ラストも明白なハッピーエンドには、まだ出来ない。
ニュートラルの芝居はルコントにとてもよく似ている。今回久々に2人芝居に戻って、『静かな場所』の2人と、さらにはデビュー作である『冬の食卓』にあったイメージ(想像の扉を開き旅をする場面だ)を再現した舞台に挑戦した。大沢さんはこの原点回帰からスタートして新たなる第1歩を踏み出した。
人気のない冬のコンビニで、男は上着を脱ぐこともなく、女とひそやかな会話を交わして去っていく。空想の扉を開いてシベリア鉄道を旅する。ルコントの前述の映画は、彼女がなくした父のライターを見つけ、彼女に会うため南の町に行く。あなたに会いたくて、話がしたくて。ラストシーンは、再会した2人がまた以前のようにただ話をする。それだけの幸福が描かれる。大沢さんは、ルコントのように、あと20分長い芝居を作れるか。今後のニュートラルが楽しみだ。
前置きが長くなってしまった。この心地よい芝居について話ができると思うとそれだけで幸せな気分になれる。今年1月の『その公園のベンチには魔法がかかっている』に続いて、連作で新作を発表した大沢秋生の渾身の小品である。
大作ではない。ささやかな小品なのだ。前作は2時間の大作だったが、今回は初心に戻った昔ながらのニュートラル。大沢さんは不器用な人で、舞台に2人以上の役者を同時に立たすことが出来ない。自然と2人芝居が多くなる。たとえ3人が出てきてもその内の1人は必ず置いてきぼりにされる。彼は同時に2人以上の人を見れないのだ。
だから、彼が本領を発揮するのは2人芝居ということになる。上演時間にも今回は拘った。1時間10分、という長さがとても心地よい。長くもなく、短くもない。もっと見たかったのに、と思わす長さ。2人芝居で小さな世界を見せていくには、これ以上の長さはどうしてもくどくなり、しっくりこない。
主演は川田陽子と森崎進。この二人がコンビを組んだ記念碑的作品がニュートラルの第二作である『静かな場所』である。とても寂しい芝居だった。2人の男女の孤独が心の奥に突き刺さってくる。荒涼とした部屋で過ごす時間が見事に描かれた傑作である。あれから14年。もう1度初心に戻りこの2人とコンビを組んで大沢さんが仕掛けたのは、甘く優しい香りのする『幸福な場所』についてのお芝居である。
日本最北端にあるというコンビニが舞台だ。そこで働く女と、そこにやって来る男。この2人だけの物語。男は仕事でこの町にしばらく滞在している。女は生まれた頃からずっとここで暮らしている。彼はただここに来るだけで心が安らぐ。彼女はいつもここにいて彼に安心を与えてくれる。コンビニとはいっても、とても片寄った品揃えをした個人商店だ。ここには彼女しかいない。
暗闇の中で、何もないところに、ポツンと灯りが点っているこの場所は彼の心にも明かりをともす。いつも静かで、表情も変えずにここにいる彼女に心惹かれる。といってもこれはラブストーリーではない。もっともっと淡い物語だ。疲れてしまった心を無愛想な彼女が癒してくれる。全く自分に対して心を開いてくれない無愛想な女性(そんなのコンビにの店員なんだから当たり前だ)が、ただそこに存在しているだけで、温もりを与えてくれる。
男はその日から、仕事を終えて、夜になると毎日ここにやって来る。いつ来ても誰も客はいない。こんな寂しい町の片隅で、こんな夜に出歩く人はない。とても静かで心が落ち着く。時には彼女さえいない時があり、彼はうろたえたりもする。そんなふうにして日々は過ぎていく。
ある日男はロシアンティーを注文して「2人で飲みましょう」と提案する。彼は自分の昔話を語る。それは哀しい話だ。大きな震災が彼の住む町に起こり恋人が亡くなった。その時彼は仕事で家を空けていて彼女を一人にしていた。女もまた自分の昔話を語る。母の話だ。2人は、この国を出てシベリア鉄道に乗り、遠い旅にでることを夢想する。
2人はそれぞれの世界で生きてきて、今ここにいる。月夜の晩から始まった逢瀬は、次の満月の夜を迎える。物事には始まりがあれば、当然終わりもある。男はこの場所で暮らそうと思う。この幸福をずっと続けたいと心から願う。
昨年公開されたパトリス・ルコントの『親密すぎるうち明け話』は上映時間が104分ある。ルコントとしては破格の長さだ。『髪結いの亭主』が80分。単純なストーリーと無駄を徹底的に排除した構成、人物関係。そんな中で男と女の心の機微や情愛の深さを、さりげなく描いてみせる。ルコントの新作は『髪結い』の頃にはできなかったことに挑戦している。それは哀しい話のもう1歩先に踏み出すことだ。そのためには今までより、少し上映時間が必要だった。そうすることであの幸福なラストシーンを作ることが出来たのだ。大沢さんは今はまだそこまで行かない。だから70分の芝居を作る。ラストも明白なハッピーエンドには、まだ出来ない。
ニュートラルの芝居はルコントにとてもよく似ている。今回久々に2人芝居に戻って、『静かな場所』の2人と、さらにはデビュー作である『冬の食卓』にあったイメージ(想像の扉を開き旅をする場面だ)を再現した舞台に挑戦した。大沢さんはこの原点回帰からスタートして新たなる第1歩を踏み出した。
人気のない冬のコンビニで、男は上着を脱ぐこともなく、女とひそやかな会話を交わして去っていく。空想の扉を開いてシベリア鉄道を旅する。ルコントの前述の映画は、彼女がなくした父のライターを見つけ、彼女に会うため南の町に行く。あなたに会いたくて、話がしたくて。ラストシーンは、再会した2人がまた以前のようにただ話をする。それだけの幸福が描かれる。大沢さんは、ルコントのように、あと20分長い芝居を作れるか。今後のニュートラルが楽しみだ。