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映画・演劇のレビュー

青年団『冒険王』

2008-11-30 00:15:09 | 演劇
 『東京ノート』と並ぶ平田オリザさんの代表傑作。この作品を見るのは今回で2度目だ。前回はAIホールだったので、作品との距離感があり冷静に見れたが、今回は駒場アゴラ劇場なので、客席との距離が近いし、狭さが臨場感を生む。まるで印象の違う作品になった。

 『冒険王』はいつもの平田オリザさんの作品とタッチは同じなのだが、作品から受ける印象がかなり違う。自伝的作品であることも影響して、いつもの冷静な彼が影を潜めてしまい、とても熱くて、感情的な彼の姿が作品全体を貫いている。もちろん自分自身と目される主人公を設定して、そんな彼の一人称によるドラマが展開していくなんていうよくあるパターン(というか、普通の芝居はほとんどそうなっているのだろうが)は踏まない。それどころか意識的に平田さんの姿は舞台から排除されている。

 これはこのドミトリーに集まる日本人男女の群像劇であり、いつものようにそれを定点観測で見せていく。そういうスタイルは揺らぐことは一切ない。だが、ここに集う男女はいずれも感情がすぐ表に出る。およそ平田オリザ的ではない人物ばかりが出てくるのだ。

 1970年代末を舞台に海外に出て長期間旅をする日本人の憂鬱な真情が描かれる。だが、彼らの退廃した心情は、とても真摯なものに見える。不安と孤独の中、すれ違う人たちとの邂逅を出来るだけさらりと受け流そうとする彼らが愛おしい。

 日本を離れて世界を旅し、そこで暮らしながらも、そこには自分の居場所を見出せず彷徨するだけの不安定な時を過ごす。日本を遠く離れることで、自分たちは所詮日本人でしかないということを見出すしかない。たとえどこにいようともそこは自分の生きる場所ではなく、ただの旅人でしかないという彼らの苛立ちが伝わってくる。そんなこと当たり前のことなのに、その当たり前のことが彼らをイライラさせる。

 アゴラ劇場で見る『冒険王』はその空間の問題もあるのだろうが、とてもリアルだ。空間に圧迫感があり、役者との距離の近さも含めかなりの臨場感を生む。自分たちのホームグラウンドでの公演ということが影響してか役者たちはのびのびした印象を受けた。その結果、それが反対に異郷の地での不自由さを的確に伝えるというなんだか不思議な芝居となる。

 旅になれてしまったことで、旅に疲れてしまう。それでもまだ、日本には帰ることは出来ない。そんな人々のそれぞれの想いが見事に描かれてある。どこに向かって生きていけばいいのか。不安を抱える現代人の心情とスライドする。これはそんなドラマだ。

 AIホールとアゴラの違いがこういう印象を与えたのか、と思ったがそれだけではないようだ。この文章を書いた後で読んだパンフの平田さんの文章がとても面白かった。この芝居が今再演されたことで彼が気付いたことが、的確なこの芝居に対する批評となっている。「過去2回の上演時よりも明るい、積極的な『冒険王』を創ってみた。」という言葉も印象的だ。確かにこれはそんな作品に仕上がっていた。

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