『スモーク』を見たときの感動は、誰もが忘れたりはしないだろう。愛しい時間を最大限の思いやりをこめて描くあのウエイン・ワンとポール・オースターの到達点の夢をもう一度、というわけではないが、この愛しい小説の描くフォリーズ(愚者たち)の姿は、心に染み入る。
だが、正直言うと最初は少ししんどかった。読んでいるだけで、どんどん気分が滅入ってくる。そんな小説だった。静かに死ねる場所を探してブルックリンみ戻ってきた初老の男を語り部として、彼が関わりを持つことになる市井の人たちとの半径100メートル四方の(それは言いすぎかぁ)ドラマだ。だが、それが単に再生の物語として終わるわけではない。ラストの9・11の46分前の幸福な時間も含めてとてもよく出来ている。最後まで読むと、この「自分の人生が何らかの意味で終わってしまったと感じている男の物語」は、それでも再生のドラマだったのだ、と思う。
だが、それは諦めないで、というか投げ出さないで最後まで読んだから、そんな風にいえるのだ。最初は、50ページくらい読んだところで読むことをやめようか、とすら思った。実際そこで2,3日中断して(その間、橋本紡『ハチミツ』を読んで元気になった!)それから仕切り直して、もう一度読み始めたのだ。それくらいの覚悟が必要だった。こんなにも暗い気分になる正直な小説と、今の僕はまともには向き合えない。
でも、あきらめて(?)読んでいく。すると、少しずつ、少しずつ前向きな気分になっていくのだった。要するに、これは嵌るまでものすごく時間がかかる小説だったのだ。だけど、人生ってものもきっとそんなものではないか、と思う。この小説のスローペースに自分をあわせていくうちに、別にあわてることなんて何もない、と思い始める。ゆっくり一行一行を味わうようにして読んだ。おかげで、本を読む僕のペースもいつもの倍くらいゆっくりになった。でもかまわない。読み終えたときの感動は格別なものがある。
これはネイサンと、彼の甥であるトムという人生の敗残者を中心にして、彼らと、彼らの周囲の人たちとのささやかな関わり合いが生む小さなドラマだ。その小さなお話のひとつひとつを丁寧に追いかけていくことで、人の営みというものの愛おしさが、しっかりと見えてくる。僕たちは日々別にたいしたことをしているわけではない。ただ、誠実に必死になり、生きているだけだ。でも、そのことが、時に、光り輝く瞬間がある。そんな瞬間を抱きとめるため退屈な毎日を飽くことなく生きるのだ。
だが、正直言うと最初は少ししんどかった。読んでいるだけで、どんどん気分が滅入ってくる。そんな小説だった。静かに死ねる場所を探してブルックリンみ戻ってきた初老の男を語り部として、彼が関わりを持つことになる市井の人たちとの半径100メートル四方の(それは言いすぎかぁ)ドラマだ。だが、それが単に再生の物語として終わるわけではない。ラストの9・11の46分前の幸福な時間も含めてとてもよく出来ている。最後まで読むと、この「自分の人生が何らかの意味で終わってしまったと感じている男の物語」は、それでも再生のドラマだったのだ、と思う。
だが、それは諦めないで、というか投げ出さないで最後まで読んだから、そんな風にいえるのだ。最初は、50ページくらい読んだところで読むことをやめようか、とすら思った。実際そこで2,3日中断して(その間、橋本紡『ハチミツ』を読んで元気になった!)それから仕切り直して、もう一度読み始めたのだ。それくらいの覚悟が必要だった。こんなにも暗い気分になる正直な小説と、今の僕はまともには向き合えない。
でも、あきらめて(?)読んでいく。すると、少しずつ、少しずつ前向きな気分になっていくのだった。要するに、これは嵌るまでものすごく時間がかかる小説だったのだ。だけど、人生ってものもきっとそんなものではないか、と思う。この小説のスローペースに自分をあわせていくうちに、別にあわてることなんて何もない、と思い始める。ゆっくり一行一行を味わうようにして読んだ。おかげで、本を読む僕のペースもいつもの倍くらいゆっくりになった。でもかまわない。読み終えたときの感動は格別なものがある。
これはネイサンと、彼の甥であるトムという人生の敗残者を中心にして、彼らと、彼らの周囲の人たちとのささやかな関わり合いが生む小さなドラマだ。その小さなお話のひとつひとつを丁寧に追いかけていくことで、人の営みというものの愛おしさが、しっかりと見えてくる。僕たちは日々別にたいしたことをしているわけではない。ただ、誠実に必死になり、生きているだけだ。でも、そのことが、時に、光り輝く瞬間がある。そんな瞬間を抱きとめるため退屈な毎日を飽くことなく生きるのだ。