ほんとうはこのドラマを見なかったことにするつもりだった。だが、あまりに悔しいし、なぜこんなことをしたのか、少し考えてみようと、思い、書き始める。これで15年の歴史に幕を閉じるらしい。大好きだった『踊る』が終わるのは、誰もが残念に思ったことだろう。だが、それ以上にこのドラマの存在は残念で、忘れてしまいたい。
もともとこれはただのワンクールのドラマだ。10話ほどの小さなお話でしか、なかったはずなのだ。それがたくさんの観客の支持を受け、スペシャルドラマになり、やがて映画になり、空前絶後の大ヒットを記録した。
本来はありえない話だった。作り手自身が驚いた。でも、熱狂的な観客に支えられて、自分たちの世界観を信じた。そして、映画は作られ大ヒットした。さらに、続編の映画は日本映画史上最高の170億円越えを成し遂げる。こうなると、もう、どうしようもない。国民的映画になる。だが、それはこの作品が本来目指したものではない。
湾岸署という小さな新興の警察署を舞台にした刑事もの、だった。そこに新米の、サラリーマン出身の刑事が赴任してきて、仕事として、TVで見た刑事を実践していく。でも現実の刑事の仕事は地味だ。それをリアルに会社で働くサラリーマンのようなタッチで見せていく。TVドラマの刑事に憧れた青島が、現場では、自分はただの公務員でしかないことを知らされる。そんな日々のスケッチが丁寧に綴られる。
だが、彼らはこの仕事を愛している。毎日が楽しい。殺伐とした事件もたくさんあるし、悪人たちと向き合う毎日はただ、楽しいだけではない。そんなこんなは十分に理解した上で、でも、この仕事が好きだ。彼らは、いつまでたっても、職場から家に帰らない。仕事が忙しいからだが、それだけではない。楽しいからだ。そんな彼らの毎日がドラマでは描かれる。
だが、映画版はそうはいかない。映画だから、大きな事件を描かなくてはならない。そこで矛盾が生じる。小さな事件を丁寧に取り上げるはずの作品は、大きな事件を描く必要に迫られる。そこで、3日間寝ずに働いて疲れてしまい、車の中で寝てしまいました、という話を作った。
7年のブランクを経て復活した一昨年の『3』では、なんと警察署の引越しなんていう非日常の日常に挑戦した。でも、あの辺から、矛盾は限界を超えてしまう。
そんなこんなで、今回の『踊る大捜査線 THE LAST TV 』である。これはただの映画の宣伝でしかない。でも、宣伝にすらならないお粗末なものになった。それは、作者も分かっていたのではないか。そこで居直って、とことんバカなバラエティーに挑戦したのかもしれない。結果はみんなが目撃したとおりだ。無残な惨敗である。宣伝どころか劇場版の足を引っ張るようなとんでもないものになる。結婚式をネタにして、あんなありえないおふざけをドラマとして、見せるのは反則だ。というか、自殺行為であろう。誰もこの愚行を止めなかったのか。不思議でならない。文化祭前の高校ではないのだから、あんな馬鹿騒ぎをする警察署を描いて警察はクレームをつけないのか。そこからして、不思議だ。これは、自分たちの仕事をバカにされているのだ。いくらドラマでもこれは許されないことだろう。
このドラマを見た観客はもう映画館には足を運ばない。『踊る大走査線』は終わった、と誰もが実感したことだろう。いくらなんでもこんなあほらしいバラエティー以下のしろものを見て(見せられて)、その続編を劇場でお金を出して見たいとは思うまい。
映画はもちろんまだ見ていないから、どんな裏切り(それを期待している)を見せてくれるかは、わからない。だが、かなりの確信犯的行動がなければ、このTVの汚点を補い、感動のフィナーレは作れまい。もちろん僕は見に行く。本広克行監督がこのままで終わるとはとても思わないからだ。一発大逆転がどんなふうに仕掛けられたのか、今から楽しみだ。もちろん玉砕覚悟である。
もともとこれはただのワンクールのドラマだ。10話ほどの小さなお話でしか、なかったはずなのだ。それがたくさんの観客の支持を受け、スペシャルドラマになり、やがて映画になり、空前絶後の大ヒットを記録した。
本来はありえない話だった。作り手自身が驚いた。でも、熱狂的な観客に支えられて、自分たちの世界観を信じた。そして、映画は作られ大ヒットした。さらに、続編の映画は日本映画史上最高の170億円越えを成し遂げる。こうなると、もう、どうしようもない。国民的映画になる。だが、それはこの作品が本来目指したものではない。
湾岸署という小さな新興の警察署を舞台にした刑事もの、だった。そこに新米の、サラリーマン出身の刑事が赴任してきて、仕事として、TVで見た刑事を実践していく。でも現実の刑事の仕事は地味だ。それをリアルに会社で働くサラリーマンのようなタッチで見せていく。TVドラマの刑事に憧れた青島が、現場では、自分はただの公務員でしかないことを知らされる。そんな日々のスケッチが丁寧に綴られる。
だが、彼らはこの仕事を愛している。毎日が楽しい。殺伐とした事件もたくさんあるし、悪人たちと向き合う毎日はただ、楽しいだけではない。そんなこんなは十分に理解した上で、でも、この仕事が好きだ。彼らは、いつまでたっても、職場から家に帰らない。仕事が忙しいからだが、それだけではない。楽しいからだ。そんな彼らの毎日がドラマでは描かれる。
だが、映画版はそうはいかない。映画だから、大きな事件を描かなくてはならない。そこで矛盾が生じる。小さな事件を丁寧に取り上げるはずの作品は、大きな事件を描く必要に迫られる。そこで、3日間寝ずに働いて疲れてしまい、車の中で寝てしまいました、という話を作った。
7年のブランクを経て復活した一昨年の『3』では、なんと警察署の引越しなんていう非日常の日常に挑戦した。でも、あの辺から、矛盾は限界を超えてしまう。
そんなこんなで、今回の『踊る大捜査線 THE LAST TV 』である。これはただの映画の宣伝でしかない。でも、宣伝にすらならないお粗末なものになった。それは、作者も分かっていたのではないか。そこで居直って、とことんバカなバラエティーに挑戦したのかもしれない。結果はみんなが目撃したとおりだ。無残な惨敗である。宣伝どころか劇場版の足を引っ張るようなとんでもないものになる。結婚式をネタにして、あんなありえないおふざけをドラマとして、見せるのは反則だ。というか、自殺行為であろう。誰もこの愚行を止めなかったのか。不思議でならない。文化祭前の高校ではないのだから、あんな馬鹿騒ぎをする警察署を描いて警察はクレームをつけないのか。そこからして、不思議だ。これは、自分たちの仕事をバカにされているのだ。いくらドラマでもこれは許されないことだろう。
このドラマを見た観客はもう映画館には足を運ばない。『踊る大走査線』は終わった、と誰もが実感したことだろう。いくらなんでもこんなあほらしいバラエティー以下のしろものを見て(見せられて)、その続編を劇場でお金を出して見たいとは思うまい。
映画はもちろんまだ見ていないから、どんな裏切り(それを期待している)を見せてくれるかは、わからない。だが、かなりの確信犯的行動がなければ、このTVの汚点を補い、感動のフィナーレは作れまい。もちろん僕は見に行く。本広克行監督がこのままで終わるとはとても思わないからだ。一発大逆転がどんなふうに仕掛けられたのか、今から楽しみだ。もちろん玉砕覚悟である。