今なぜ山本五十六なのか。その1点だけを考えながら見ることとなった。東映お得意の戦争超大作なのだが、もうこの手の映画は観客のニーズにはない。アナクロ企画を敢えて持ってきてまで見せたかったものは何なのか。それだけが知りたかった。70年目の真実なんて、言い訳でしかない。今だから言える、なんてことはない。もう言わなくてもいいよ、とほとんどの人が思うことだろう。この時代に必要な指導者、とでも言うのならば、戦争映画ではなくて、もっと違う作品として作れたはずなのだ。橋下市長のような人物でも主人公にしたほうが、時代が求める指導者を明確に提示できるのではないか。劇団太陽族の岩崎さんにでもお願いしたなら、凄い映画を作ってくれるはずだ。
まぁ、そんな冗談はさておき、この映画の話に戻ろう。とんでもない労力と莫大な資金を投入して、これを作る意義はあるのか。ここまでしてどれほどの意味があるのか。わからない。東映はお正月映画として『男たちの大和』クラスの大ヒットを目論んだのだろう。ビジネスだから、当たればなんでもいい。だが、果たして、今、この企画で観客を劇場に呼べるのか。不安だ。僕が見たのは公開4日目の夜の上映だが、大きな劇場に観客は30人ほどしかいなかった。難波はここでしか上映されていないにも関わらず、である。
あくまでも商業映画ではあるが、これは成島出監督の最新作であり、彼がデビュー作以来2度目に役所広司とコンビを組む大作なのだ。作品としての完成度はきっと高い。作家として彼がこの素材を引き受けた、そこには勝算があってのことだろう。
出来あがった映画は、緊張感のあるいい映画である。静かなタッチで、この国が戦争に突入するのを見守る。「見守る」のは監督である成島であり、主人公の山本である! 矢面に立たされた彼が、熱くなることなく、淡々としている、というのはどういうことか。反戦を掲げるわけではない。状況を冷静に判断し、なんとかして、この国を救おうと努力する。未来を見据え、現状を把握し、冷静な判断を下す。そんな政治家としての彼を描く。だが、彼は政治家ではない。ただの軍人なのだ。真珠湾攻撃も彼にとっては不本意なことだ。しかも、最悪の結果を招く。これだけはしてくれるな、と念を押したにも関わらず、である。だが、彼は起きてしまった事実はそのまま受け入れる。その上でこれからやれることを考える。そんな立派な男として山本五十六は描かれる。でも、彼に戦争を止めることはできない。
とても地味な映画だ。派手な戦闘シーンは控えめに描かれる。見せたいのはそんなことではないからだ。成島監督の意図は十分に伝わる。だが、東映本社が望んだものはそんなものではない。まるで、山本と日本政府との関係が成島と東映本社との関係に重なる。トップがあほだから、こんなことになる、なんて言いたいのではない。両者が一致団結して進むべき方向性を指示する必要がある。でなくては未来はない。
リスクばかりが、大きくて、得るものがない、ように見える映画だ。とても力が籠った大作であることは伝わってくる。だけれども、いつまでたっても、この作品の存在意義は見えないままラストを迎える。玉木宏のナレーションによって、説明は為されるけれども、映画からはそんなことは伝わってこなかった。海軍が戦争に反対して、山本五十六はその中心となり、三国同盟を阻止して、アメリカとの開戦を回避しようと尽力したが、時代の流れには逆らえず、しかも、自ら先陣を切って真珠湾攻撃を指揮する。しかも、その後もなんとか講和に持ち込もうと画策するのだが、力尽きて死ぬ。山本の広い目を持ち、世界の現状を見極め、50年後、100年後を見据えた今を生きる、というメッセージは確かに伝わる。しかし、それが機能しない現実ばかりが描かれて、彼のやっていることは理解されないまま日本は戦争に突入する。ならば、彼の存在は無意味だったのか。悲劇のヒーローとしての彼を描くだけではなく、彼の生き方が日本の可能性を切り開いていく、という結論に達しなくてはこの映画の存在意義はない。
まぁ、そんな冗談はさておき、この映画の話に戻ろう。とんでもない労力と莫大な資金を投入して、これを作る意義はあるのか。ここまでしてどれほどの意味があるのか。わからない。東映はお正月映画として『男たちの大和』クラスの大ヒットを目論んだのだろう。ビジネスだから、当たればなんでもいい。だが、果たして、今、この企画で観客を劇場に呼べるのか。不安だ。僕が見たのは公開4日目の夜の上映だが、大きな劇場に観客は30人ほどしかいなかった。難波はここでしか上映されていないにも関わらず、である。
あくまでも商業映画ではあるが、これは成島出監督の最新作であり、彼がデビュー作以来2度目に役所広司とコンビを組む大作なのだ。作品としての完成度はきっと高い。作家として彼がこの素材を引き受けた、そこには勝算があってのことだろう。
出来あがった映画は、緊張感のあるいい映画である。静かなタッチで、この国が戦争に突入するのを見守る。「見守る」のは監督である成島であり、主人公の山本である! 矢面に立たされた彼が、熱くなることなく、淡々としている、というのはどういうことか。反戦を掲げるわけではない。状況を冷静に判断し、なんとかして、この国を救おうと努力する。未来を見据え、現状を把握し、冷静な判断を下す。そんな政治家としての彼を描く。だが、彼は政治家ではない。ただの軍人なのだ。真珠湾攻撃も彼にとっては不本意なことだ。しかも、最悪の結果を招く。これだけはしてくれるな、と念を押したにも関わらず、である。だが、彼は起きてしまった事実はそのまま受け入れる。その上でこれからやれることを考える。そんな立派な男として山本五十六は描かれる。でも、彼に戦争を止めることはできない。
とても地味な映画だ。派手な戦闘シーンは控えめに描かれる。見せたいのはそんなことではないからだ。成島監督の意図は十分に伝わる。だが、東映本社が望んだものはそんなものではない。まるで、山本と日本政府との関係が成島と東映本社との関係に重なる。トップがあほだから、こんなことになる、なんて言いたいのではない。両者が一致団結して進むべき方向性を指示する必要がある。でなくては未来はない。
リスクばかりが、大きくて、得るものがない、ように見える映画だ。とても力が籠った大作であることは伝わってくる。だけれども、いつまでたっても、この作品の存在意義は見えないままラストを迎える。玉木宏のナレーションによって、説明は為されるけれども、映画からはそんなことは伝わってこなかった。海軍が戦争に反対して、山本五十六はその中心となり、三国同盟を阻止して、アメリカとの開戦を回避しようと尽力したが、時代の流れには逆らえず、しかも、自ら先陣を切って真珠湾攻撃を指揮する。しかも、その後もなんとか講和に持ち込もうと画策するのだが、力尽きて死ぬ。山本の広い目を持ち、世界の現状を見極め、50年後、100年後を見据えた今を生きる、というメッセージは確かに伝わる。しかし、それが機能しない現実ばかりが描かれて、彼のやっていることは理解されないまま日本は戦争に突入する。ならば、彼の存在は無意味だったのか。悲劇のヒーローとしての彼を描くだけではなく、彼の生き方が日本の可能性を切り開いていく、という結論に達しなくてはこの映画の存在意義はない。