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映画・演劇のレビュー

突劇金魚『しまうまの毛』

2008-07-07 20:56:25 | 演劇
 「世界 対 あたし」。そんなに大きく構えなくてもいいのに。でもそれくらいの気持ちを持たなくてはとても立っていられない。倒れてしまうくらい、弱い。ここに出てくる女の子たちは、弱い。弱いから現実世界では生きていけない。だから、ここにいる。ここは寮か何かで、彼女たちはここで暮らしている。屋上には出てはいけない規則があるのに、屋上は彼女たちの憩いの場。そこから、小さな動物園が見える。

 サリngROCKの最新作は今までのタッチと微妙に違う。重い芝居を極彩色で飛び切りポップに見せていく、というのがパターンで、しかも、とてつもない展開についていけなくなるくらいのドライブ感が心地よい、というのが今までのやりかた。Dが、今回はあまりに直球勝負。痛々しくて目を背けたくなる。それを少女マンガのタッチで見せていく。とても感覚的なお芝居だ。理詰めで追いかけていくとラストで手痛いしっぺ返しを食らうことになる。でも、それは嫌ではない。よくわからないことがなんだか快感ですらある。しまうまは自分自身の体に牢屋を作っている。ここにいる女たちも同じだ。囚われているわけではないのに、自分自身で檻を作っている。自分の作った檻に自分を閉じ込めている。ここは病院か、なにかかもしれない。最初はもっとリアルな空間を想定した。だが、だんだん必ずしもそうではない気がしてくる。だが、ここを象徴的な空間として見てしまうと、この芝居は壊れてしまう。これはそんなあやういところで成立した世界だ。だから、彼女たちが言うように、ここは[寮]でいい。

 7人の女たちはそれぞれ痛みを抱えている。茅子(服部まひろ)はリストカットを繰り返し全身包帯だらけだ。彼女は自分を切り刻んでいることで心の平安を保っている。ゆきね(重田恵)は桃(高島奈々)を屋上から突き落とした。桃は死ななかったが、それからずっと地下室で眠っている。ゆきねは桃から奪った寮の管理人をしていた青山(河口仁)屋上に閉じ込めている。彼を「父さん」と呼ぶ。失われた父への屈折した想いを彼の中に求めている。利花(サリngROCK)は記憶がない。無意識の内の失われた弟のイメージを追い求めている。だから、彼とそっくりな男に愛を求める。毎夜、寮の外で密会している。彼に会うたびにお金を渡す。お金で愛を手に入れようとする。寮長を気取る葉月(花田綾衣子)はこの寮に入り込むために付き合う理花の弟(山田将之)に恋をしている。アイ(西原希蓉美)は男を拒絶し、瑠璃(市瀬尚代)を独占したい。7人のドラマはまるで心の病のショウケースだ。あまりにパターン化されすぎていてリアルではない。これは現実のお話というよりも夢の中の話のようだ。だから、理屈は通らないし、理詰めでこれを見てもしかたない。少女マンガを読んでいる気分でいい。その心地よさにどっぷり浸っていればいい。

 芝居は寮の屋上から始まる。彼女たちはここから出れない。女たちだけで暮らしている。それぞれがぞれぞれの理由で心を病んでいる。いつの間にかここで暮らし、いつかここから出て行く日を夢見る。

 茅子は屋上から下を見る。そこでカメラを抱えた透(上田展壽)を見る。彼をこの寮の中に導く。彼がこの寮に入ったところからこの芝居の危うい緊張が綻びてくる。サリngROCKにとっては、それもまた計算の上だ。

 だが、ラスト。女たちに囚われた(女たち自身が囚われていたはずなのに!)3人の男たちが、リアルに女たちの品評会をしているシーンの生臭さが、それまでの世界を壊してしまう。アドリブで演じられるこのシーンは、突然現実が挟み込まれたような違和感が生じる。その後、再び夢の中に戻っていこうとするラストはかなりブラックな印象を残す。彼女たちは、もしかしたらとてもしたたかなのかもしれない。

 女の子の夢の論理で貫かれたこの芝居は、我々男にはついていけない世界なのかもしれない。サリngROCKはいつもとは調子を変えて、心地よい夢の世界を提示する。いつもの毒は徹底的に排除されて、無菌状態の世界を見せる。そかし、それはいつも以上に病んだ世界でもある。


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