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映画・演劇のレビュー

空の驛舎『ghost notes』

2021-02-20 15:34:50 | 演劇

今だから作れる作品。今でなくては作れない作品。だけど、今が治まった後にも、ずっと残る、残すべき作品。コロナ禍で私たちが何を思い、何と戦い、生きたのかをきちんと伝えたくれる証言になりえる。対面での芝居だからこそ出来たこと、人と人とがどう向き合い、生きていくべきなのかを教えてくれる。

大切なことは何なのか。それを教えてくれる。何が正しくて、間違いなのかなんてわからない。この先、何があるのかもわからない。それは2020年の今だから、ではなく、今までだってこれから先だって同じことだ。しかし、2020年を生きて、今現在進行形の今日から明日への日々を生きる我々だからこそわかることがある。

3分程度、5分未満の17のエピソードのひとつひとつがストレートに胸に響いてくる。それは誰もが心当たりのあること。そしてその痛みを抱えながら生きている。最初のエピソードから胸に突き刺さり、泣きそうになった。あなたとわたしがここにいて、出会い、ことばを交わしている。そんな当たり前のことがこんなにも愛しい。

それは先日『花束みたいな恋をした』を見たときにも感じたこととも同じだ。あの映画は今、大ヒットしているらしいが、それって当然のことだと思う。あれは今という時代を冷静にかつ的確に描いている。自分たちの恋愛を美しくノスタルジックなものとして描くのではなく、客観的に見せた。人と人とが出会い、向き合い、共感を抱き、傷つけあい、理解しながらも、別れていく。恋愛という誰もが知っていて、体験もすることを通して、普遍的な心情を、この時代だからこそ、より深く理解できる問題として描いた。

2020年以前の過去を描いているのに、そこに描かれるのは確かな今の気分だ。同じ趣味を持ち、同じようなことを考え、感じていたはずのふたりが、5年の歳月を経て別れていく。ずっと一緒に生きて死んでいってもよかったはず。それくらいに相手のことを愛しく思っている。すれ違ったわけではない。心が離れたわけでもない。

こんな恋愛映画をきっと誰もが今見たかったのだろう。

そして、今日、この芝居である。誰もが見たかった今の気分はここにも確かに描かれる。舞台は駅のホームだ。この黄色い線の向こうは当然線路だ。この線を越えてはいけない。そのギリギリの手前に当たり前のように立って電車を待っている人々。それはいつもの風景だった。でも、このいつもの風景が変容してしまった今、何を信じて、何を思うことになるのか。2020年を舞台にして、常にマスクを着用し、直接人と接することを回避しなくてはならなくなった日々の中で人はどう生きていけばいいのか。短いエピソードの連鎖のなかで繰り返し描かれているのは、僕たちは人と繋がることで生きているという当たり前の事実だ。象徴的に描かれる今ある日常のスケッチを通して茫漠たる不安の先にある未来を見据える。彼らの交わす想いをいくつもの短いことばの応酬で切り取った断片の連なりは今の僕たちの自画像でもある。

余談ばかりになるが、僕はこの3月で教師を辞めることにした。そんな今の自分は、この芝居で描かれるできごとがとてもよくわかる(気がする)。僕がもう無理だと思った理由はこの芝居で描かれたこととほぼ同じで、それでも耐えてやっていくことはできるけど、それは自分に嘘をつくことになるし、そんな力量は今の僕にはない。

僕は正直者でバカだから、自分をだまして生徒たちと接することはできないし、そんな技術もない。自分に自信がなくなったからだけではないけれど、疲れてしまったことも事実だ。まだ60歳を少し過ぎただけのくせに、疲れたなんていうのは、情けないのだけど、生徒と全力で向き合えない人が教師をすべきではないと思った。この仕事はそんな仕事ではないからだ。100%力を出し切ったとしてもそれだけでは足りない。だから、それができない人間はここから去るべきだ。と。調子に乗ってここまで書いてしまったけど、そんな個人的な話をこの芝居がしているわけではない。

だけれど、誰もがきっとこの芝居と向き合うことで、それが今の自分へとかえってくる。中村さんはそんな余白をいっぱいちりばめた作品としてこれを僕たちに突き付けてくる。それをしっかりと受け止めたい。


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