習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『怪談』

2007-08-10 19:45:33 | 映画
 小林正樹の傑作『怪談』は3時間に及ぶ超大作である。恐ろしいだけでなく、美しくも哀しい愛の物語でもある。中田秀夫が『怪談』を撮ると聞いた時、ラフガディォ・ハーンの原作からいったいどのエピソードを撮るつもりなのか、興味津々だった。なのに、これは八雲の原作ではなく、円朝の落語『真景累ヶ淵』の映画化だったのだ。この思い切ったタイトルのもと何度も映画化されたこの話を従来の映画化とは違い、後半部分も含めての完全映画化に挑んだ。

 なのに、映画は本来描きたかったはずのこの後半部分が、あまり面白くないのである。これでは何のための映画化だか、よく解らない。

 豊志賀(黒木瞳)が死んだ後、新吉(尾上菊之助)がその美貌と優しさから、女たちに慕われていくが、そんな女たちが、豊志賀に祟られて死んでいく。この過程で、新吉自身の悪がもっと前面に出てくるように作られてあったなら面白いのに、彼もまた被害者のように描かれてあるのが気になる。この男はただ巻き込まれていくだけでは、おかしい。彼が元凶になり、すべてが起きていくのである。しかも、お久(井上真央)にしても、お累(麻生久美子)にしても、現実問題として考えると、豊志賀が殺したのではなく新吉が殺しているのだ。新吉の中にある恐怖が豊志賀の幻影を見せ狂気から殺してしまうのだから、彼の弱さの中にある悪をもう少ししっかり描いてくれなくては、映画は説得力を持たない。

 とても優しく美しい男が、結果的に女たちを苦しめていく悪の化身になっていくところにこのお話の面白さがあったのではないか。自分の弱さがみんなを不幸にしていく。無意識の悪、それこそがこの映画の描くべきものではないか。

 なのにすべてが中途半端なままで、豊志賀の一途な愛も、新吉の無意識の悪意もこちらの胸には伝わらないまま終わってしまう。力作だけに、残念でならない。

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