思い切ったことをする。だが、今、このことをひとつのメッセージとして、広く観客に伝えたかったのだ。目の前にあるとても大切な事実をひとりでも多くの人たちと共有したい。分かってもらいたい。だから、ストレートに芝居として見せる。岩崎さんの覚悟の程がしっかり伝わってくる作品だ。
あいまいな描写は一切しない。大阪市のとんでもなく惨いやり方と、自分たちの真摯な闘いをありのまま伝える。もちろん行政の側にだって言い訳はたくさんあるだろう。彼らを一方的に悪者にしようというわけではない。だから、今までその理不尽をきちんと受け止めて、その中で闘ってきたのだ。本来ならこういう醜い舞台裏を人前にさらすべきではない。しかし、やむにやまれぬ状況の中で、これは自分たちだけの問題ではなく、大きな社会問題なのだと判断する。
等身大の社会派、太陽族として、演劇を武器にして、闘うしかない。もちろんこの演劇的テロが自爆行為になってはならない。ましてや自己満足になるなんて言語道断だ。慎重に、大胆に、このあからさまなドラマは、他ならぬその「S小学校」を舞台にして描かれていく。岩崎さんは弱者にむけて強攻策を弄する行政側の圧力に屈するわけにはいかないのだ。DIVEを擁して関西の小劇場の矢面に立った彼が、みんなの権利を守るため、理不尽な暴力と断固として闘う意志を見せる。一種のプロパガンダと受け止められかねない内容だが、恐れない。正しいことを正しいと訴えることは間違いではない。その小さな声が、巨大な悪の前では力を持たなかったとしても、である。もちろん大阪市、とか大阪府という悪を正すことだけが、目的ではない。広い意味で生きやすい世界を作ることが目的だ。ミニマムな視点から社会や世界という大きなものを告発してきた岩崎さんが、よりグローバルな視点から(もちろん、地下鉄サリン事件や阪神大震災を扱った時以上に、大阪市の文化事業政策を扱うことがグローバルだというわけではない)この極私的とも言われかねないようなつば競り合いを、1本の芝居として世界に向けて発信する。そんなことに興味はない、という大多数の人たちはこの芝居を無視することになるかもしれない。しかし、小劇場運動というのは、こういうところから生まれてきたのだ。もう一度本気で自分と自分の目の前に横たわる問題と向き合う必要がある。
もちろんこのドラマは架空の町での出来事として語られる。小学校の跡地が小劇場として再利用されていたのだが、行政側の一方的な通達によって閉鎖されようとしている。運営を任された側はなんとしても存続を望むのだが、まるで相手にされてない。ここで劇団が公演を打つ日程がずっと前から、決まっていたのに、直前になって、劇場横のグランドで祭りを開催するという連絡が入る。その日の公演は中止を余儀なくされた。実際の出来事をそのまま取り込んだ大胆なオープニングだが、その後のドラマは殊更熱くはならない。冷静に距離を置いて語られる。いつも以上に冷静だ。慎重に事実を巡るドラマが描かれていく。そこから、真実を摑みとってもらいたい、というのが作者の願いだ。
あいまいな描写は一切しない。大阪市のとんでもなく惨いやり方と、自分たちの真摯な闘いをありのまま伝える。もちろん行政の側にだって言い訳はたくさんあるだろう。彼らを一方的に悪者にしようというわけではない。だから、今までその理不尽をきちんと受け止めて、その中で闘ってきたのだ。本来ならこういう醜い舞台裏を人前にさらすべきではない。しかし、やむにやまれぬ状況の中で、これは自分たちだけの問題ではなく、大きな社会問題なのだと判断する。
等身大の社会派、太陽族として、演劇を武器にして、闘うしかない。もちろんこの演劇的テロが自爆行為になってはならない。ましてや自己満足になるなんて言語道断だ。慎重に、大胆に、このあからさまなドラマは、他ならぬその「S小学校」を舞台にして描かれていく。岩崎さんは弱者にむけて強攻策を弄する行政側の圧力に屈するわけにはいかないのだ。DIVEを擁して関西の小劇場の矢面に立った彼が、みんなの権利を守るため、理不尽な暴力と断固として闘う意志を見せる。一種のプロパガンダと受け止められかねない内容だが、恐れない。正しいことを正しいと訴えることは間違いではない。その小さな声が、巨大な悪の前では力を持たなかったとしても、である。もちろん大阪市、とか大阪府という悪を正すことだけが、目的ではない。広い意味で生きやすい世界を作ることが目的だ。ミニマムな視点から社会や世界という大きなものを告発してきた岩崎さんが、よりグローバルな視点から(もちろん、地下鉄サリン事件や阪神大震災を扱った時以上に、大阪市の文化事業政策を扱うことがグローバルだというわけではない)この極私的とも言われかねないようなつば競り合いを、1本の芝居として世界に向けて発信する。そんなことに興味はない、という大多数の人たちはこの芝居を無視することになるかもしれない。しかし、小劇場運動というのは、こういうところから生まれてきたのだ。もう一度本気で自分と自分の目の前に横たわる問題と向き合う必要がある。
もちろんこのドラマは架空の町での出来事として語られる。小学校の跡地が小劇場として再利用されていたのだが、行政側の一方的な通達によって閉鎖されようとしている。運営を任された側はなんとしても存続を望むのだが、まるで相手にされてない。ここで劇団が公演を打つ日程がずっと前から、決まっていたのに、直前になって、劇場横のグランドで祭りを開催するという連絡が入る。その日の公演は中止を余儀なくされた。実際の出来事をそのまま取り込んだ大胆なオープニングだが、その後のドラマは殊更熱くはならない。冷静に距離を置いて語られる。いつも以上に冷静だ。慎重に事実を巡るドラマが描かれていく。そこから、真実を摑みとってもらいたい、というのが作者の願いだ。