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映画・演劇のレビュー

『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命』

2014-05-11 20:26:53 | 映画
 未公開、あるいは単館公開の地味な映画をツタヤで発掘してくるのは秘かな楽しみだ。結構リスキーなのだが、思いもしないような作品に出会うとかなりうれしい。膨大な映画の中から、敢えて選ぶ1作だから、慎重に選択する。情報源はパッケージのデザインと、紹介文だけである。もちろん、スタッフ、キャストで選ぶことも可能だが、発掘なのだから、知らない監督、未知の国の映画を選ぶことが多い。こんな映画作られていたんだ、と手にする。先日見た『パーフェクト・プラン』なんていうのもそうだ。アラン・アーキンのプロデュース作品で、自身も重要な役で出演している。彼のチョイスだから、信用できる気がして、選んだのだが、かなり微妙だった。今回見た3本は、それぞれ劇場でちゃんと公開されているし、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命』なんて、絶対見たいと思っていた作品だったので、発掘事業ではないのだが、見ながら、これはちょっと微妙な作品だ、と思った。悪くはないけど、この程度のレベルの映画では、劇場公開は危ういのではないか、と思う。冒険はしているのだが、それがうまく機能していない。監督は『ブルーバレンタイン』のデレク・シアンフランス。あの映画は面白かったが今回は気負い過ぎて空回り。

 不思議な構成の映画なのだ。前半と後半では主人公が違う。しかも、3部構成になっている。その前半もまた2部構成で、ふたりの男の話が描かれる。最初はライアン・ゴズリング演じる男が主人公。かっての恋人が自分の子供を産んで育てていたことを知る。彼女とよりを戻して、3人で暮らしたいと願うのだが、彼女にはもう新しい恋人がいて、子どもと3人で幸せに暮らしている。そこに彼が強引に割り込もうとするのだ。嫌な男である。しかも彼の暴走はそれだけに止まらない。銀行強盗をして、やがては死ぬことになる。馬鹿は死ななきゃ治らない。で、1部は終了。彼を死なせてしまった警官ブラッドリー・クーパーは自責の念に駆られる。2部は彼が主人公。この話が面白い。

 だが、話はそこに止まらない。15年後、成長したライアンの息子とブラッドリーの息子を主人公にした話が、ブラッドリー・クーパーの話と交錯して運命のドラマが紡がれることになる。だが、この壮大なお話を見ながら(2時間半の大作)なんか、うそくさいな、と思ってしまった。あまりにうまく作られすぎているのだ。

 よく出来ているという意味では『魔女と呼ばれた少女』も同じだ。すさまじいお話なのだが、なんだか、出来すぎで反対にリアルじゃない。アフリカの紛争地を舞台にした映画だ。ゲリラによって家族を虐殺された(しかも自分の手で殺すことを命じられ、銃で親を射殺する)少女が、兵士として、同じように虐殺を強いられる。同じ境遇の少年と一緒に逃げて、生活をするが、再び連れ戻される。そのとき、また、同じようの少年を殺させられる。

 お話をどう描くかが映画や小説の腕の見せ所なのだが、リアルって微妙だ。受け止めての感じ方にもよる。だが、作為的なものは受け入れられない。でも、それが確信犯なら、それこそが作者の意図になる場合もある。どこまでをそうだと思い、どこらはそうじゃないと判断するのかは、観客に委ねられる。しかし、作品をドライブするのはあくまでも作者である。その微妙なバランスをどう受け止めるか。難しいところだ。

 もう1本、『メッセンジャー』という映画も見たのだが、これは戦死者の遺族のもとに、その連絡をする男の話だ。仕事として、遺族のもとに行き、事実を告げる。出来るだけ感情を排して事務的に伝える。事実だけを伝えることを旨とするのだが、人間だから、当然、そこに感情が入り込む。

 いい映画だとは、思う。だが、その先が描かれていない。テーマとか、メッセージとか、そんなのが大事なのではない。だが、何を伝えるか、どう伝わるかは、とても重大な問題である。3本続けて見て、とても疲れた。いずれも力作であることは認める。だが、大切なものがことごとく足りない。



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