習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』

2016-06-19 00:21:12 | 映画

この甘いラブストーリーが僕にはとても心に沁みてきた。甘いなぁ、とは思う。でも、優しいなぁ、とも思える。だから納得する。そんな気分にさせられる、その根拠となるものは、主人公を演じたふたりの個性だろう。

 

彼らに共感できなかったなら、この作品はただの絵空事でしかない。お話自体がただの絵空事で、普通ならこんな話には納得できないはずだ。しらけてしまい、乗れないまま、終り、ということにもなりかねない。だから、これはかなり危険な素材なのだ。バカバカしいと言えば、ただただバカバカしい。ウソだろ、としらけてしまう。でも、そうはならなかった。それは彼ら2人の人柄が見事出ていて、彼らに共感できるからだ。感情移入できる。そこが分岐点だ。でも、これは実に難しいことだ。もしかしたら、この映画をつまらないと感じた人がいたかもしれない。そんな人には、それを否定しない。各人の感じ方だ、というしかない。

 

だが、僕はこれを受け入れられた。それが主人公の高畑充希のキャラクターに共感できたからだ。彼女がここまで生きてきて感じた寂しさ。彼女の抱える孤独。でも、それは彼女を壊すほどではない。なんとなく、こうして、孤独を抱え生きていける。でも、これだけで自分の人生が終わるのはイヤだ。いつか王子様がやってきて私を幸せにしてくれるかも、なんてもう思わない。そこまで夢見る「夢子ちゃん」じゃないから。

 

だから、彼を公園で拾ってきて、自分の家で住まわせる。そんな危険な行為を是認出来たのは、岩田剛典の甘いマスク(安全だと思わせる)だけではない。彼女は危険を承知で、半ばヤケクソになりながら、彼を泊める。ここから、始まる。サブタイトルにもなっている「ひろいました」という部分だ。若い男をひろってきて住ませるなんていう大胆な行為をふつうのOLならしない。怖すぎる。しかも、そんなことしたら、自分を安く売ることにもなる。でも、そこは少女マンガである。彼はとても紳士的で彼女に触れてこない。ふつう、「この女おれを誘ってるな、」と思うところで、それくらいの覚悟がなければ、ひとり暮らしの家に上げないはず。(原作は有川浩の小説なんだが、お話は完全に少女マンガでしかない)

 

この映画はそんな彼女の無防備さを糾弾しない。それどころか、応援する。でも、そこには、ヒロインである高畑充希のリアルな孤独が、その説得力ある演技によって浮かびあがるから成立するのだ。彼女の無邪気さ。天使のような悲しみ。都会でたったひとり生きていて、23歳で恋人もいない。職場の男性から好意を寄せられているけど、付き合う気はない。もっと、素敵な恋人を期待しているわけではない。安易な妥協は相手に失礼だと考えるからだ。自分が本当に好き、と思える人が出来るまで、ひとりでいい、と思っている。そんな女の子を誠実に演じる。そこにリアリティがなけれが、この映画は成立しないのだ。そこが嘘くさくなれば、すべてがウソになる。

 

1年間の夢のような時間。でも、やがて、終りは突然やって来る。映画だから、ではない。現実だからだ。そんなにもすべてが上手くゆくわけはない。そんなこと、彼女自身がじゅうぶん知っている。だから、ここにはきっとなにか、秘密がある。でも、彼はそれを言わない。だから、彼女も聞かない。なんだか、切ない。

 

そして、別れの後のさらなる孤独な時間が静かに描かれていく。(もちろん、それだけで終わらないけど。 彼が去った、理由はちゃんと描かれはする。でも、大事なことはそんな説明なんかじゃない。現実世界は残酷だから、理由もなく、大事なことが終わる、こともある。人はそれでも、それを受け入れなくてはならない。)

 

映画のエンディングは「それはないわぁ、」と突っ込みを入れたくなるような展開だ。男はあまりに勝手で彼女の気持ちなんか考えてない。たとえ、岩田剛典がどれだけ「いい人」でも、「あれはないわぁ、」と思う。だけど、彼女はそんなわがままな彼を受け入れる。

 

これを見ていると、男はダメだな、と改めて思う。でも、女は凄いとも。やはり納得するしかない。現実の世界もそんなふうに出来ているからだ。ここには男として、反省すべきところが多々ある。でも、この映画の彼女が幸せになれたから、もうそれだけで、許して欲しい、とも思う。やはり、僕も男も甘い。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 劇団大阪『獏のゆりかご』 | トップ | 『サウスポー』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。