矢口史靖はどうしてこんな映画を作ったのか。まずそこが一番気になる。映画を見る前は実に彼らしい企画で、「これはこの夏一番の期待作だ!」と思った、だから一刻も早く見たいと切望したのだが、見ながら、えっ? って気分がだんだん大きくなり、途中からは少しあきれる。やがては、なんなんだ、これは、という気分になる。少しむっ、とする。でも、全否定をするわけではないし、期待と違うだけでこの映画自体は悪くはない。勝手な僕の想いと、この映画がすれ違うだけなんだけれども、それにしても、なんだかなぁ、なのである。
こういうチープなミュージカルを敢えて今作りたかったのはなぜか。まずは、もっと豪華な大作仕立ての映画だと思っていたので、驚いたのだ。見ているみんながハッピーになれる周防監督の『舞妓はレディ』のようなタイプの映画だと思ったら、なんと途中からはロードムービーになってしまう。これでは「お話がちがうじゃん」と突っ込みを入れるしかないけど、まるで頓着しない。矢口監督の初期の映画に近いテイストのロードムービーなのだ。音楽を聴くとからだが勝手に動き出すというアイデアがただの催眠術というのも、なんだか安易。
そんな安直な筋立て、展開をわざとする。一応メジャー映画(これってワーナー映画の夏の大作だった、気がする)なのに、今時こんなものを作っても受け入れられないはず。でも、彼は今これをやりたかった。やりたいものをするって、わがままと紙一重だけど、大切なことなのかも知れない。今までのキャリアを踏まえてそこから次の一歩を踏み出すために、もう一度初心に返ること。そんな想いがこの一作には込められてある。(でも、商業映画なんだけど)
宝田明も生き生きしている。なんだか楽しそう。映画で遊んでいる。久々に映画の出てとてもハッピーな気分なんだろう。そういう機会をお膳立てした矢口史靖監督も、彼以上に楽しそうだ。僕も同じように無邪気にこの映画を楽しみたかった。