初めてルサンチカを見に行く予定だったのだが、コロナの蔓延から予定していた公演が変更され、音声だけの上演となった。残念でならないけど、音声だけでの公演っていったいどういうことになるのだろうかと、怖いもの見たさで見に行く。想像もつかない。わけではないけど、そんなことで、公演が可能なのか。
もともとこの集団の作品は普通の演劇とはスタイルを異にしているようだ。チラシにある「扱うテキストは既成戯曲、小説、インタビューなど多岐に渡る。現代と過去に存在するモラルと取材した当事者たちの事実と真実を織り交ぜ、舞台上で現実を再構築する。」という宣伝文句に惹かれた。でも、これだけでは何が何だか全くわからない。きっと小難しい独りよがりの世界を見せられるのではないか、という心配もあった。でも、もしかしたら見たこともないような世界がそこに展開するのではないか、という期待も高まる。
名村造船所跡での演劇公演は結構たくさん見ている。ここではいろんな形での上演が可能だ。この広いスペースをどう活用して生かすのか、使い方次第では壮大な実験も可能だろう。今回は4階のスペースをそのまま使い、そこにさまざまなオブジェを配置した。客席は一応用意してある。だけど、どこに座ってもいいし、上演中に立ち歩いてもらっても構わない、というアナウンスがなされる。最初の予定では70分の公演だったが、今回の音声公演は40分ほどになっている。音楽やパフォーマンス部分を除いたのだろうか。スピーカーから流れる音声を聞きながら、何も生じない空間をずっと見守ることになる。用意された空間の見学は上演終了後にして、とりあえずは、芝居を見る状態で椅子に座り、目の前の空間を見守ることにする。
正直言うと、何も伝わってこない。ことばは流れていくばかりで、とどまらないからだ。用意されたテキストにはそれぞれ意味があるのだろうが、その全体が伝えようとするものが、見えてこないから、戸惑うばかりだ。舞台上に飾られた「あの日」を象徴するオブジェと音声はシンクロしない。いなくなった出演者たちの幻は立ち上がってこないから、戸惑うしかない。でも、それでいいのなら、そういうものだと、受け止めるけど、なんか、納得しない。本来の公演もそういうものだったのか、それとも、今回急遽の変更で伝わりきらなかったのかわからないけど、僕のお粗末な理解力では太刀打ちできなかったのが、残念だ。大事なことは意味を伝えることではない。だが、意図が伝わらないのはさみしい。せっかくの公演だったのに。
「いいよ 3秒後 とっとと忘れていい そう わたしが いまおぼえたからいいんだよ」とても象徴的で意味深い。そこから始まる「あの日」が見たかった。
【追記】
この文章を書いた後でこの作品のPVを見た。役者たちの演じるそれは、とても面白そうな作品だった。見れなくて悔しい。