最後まで緊張感を持続しきれない。1時間の芝居なのに、破綻してしまう。いや、いっそのこと破綻しきってくれたならいい。なのに、中途半端にまとめてしまうのがもったいない。
仕事を辞めたいという彼をなんとか引きとめようとする上司。2人の対話が静かに描かれていく。姉のダイアモンドのストラップがなくなったから。先生がセクハラで訴えられたから。等々。口ではそんなふうに言うが、それだけが理由ではない。いきなり仕事を辞めてもらったら困る、と言う上司に対して彼は異常なくらいに穏やかに向き合う。
2人の会話は噛み合わない。そして、彼の中にある世界との違和感が少しずつ明確になっていく。彼が上司に対して抱く違和感。それが、尊敬する先生に対して感じるものと重なってくる。俗物と敬愛する存在が重なる時、そのどちらを殺してしまっても、いいくらいに両者の境界が曖昧になっていく。
とてもスリリングな展開なのだ。しかし、その緊張感が頂点まで高まる瞬間が残念ながら描ききれない。9時になり突然上司が話し合いを打ち切る。妻子の待つ家に帰らねばならないからだが、その時、彼はどういう行動に出るか。そこを見たかった。しかし、作者は、軽く流す。そこに意外性を感じたのも確かだ。あえてそういう展開を良しとしたのか。だが、その後の先生と向き合うシーンまであんなふうに流して描いたのはなぜか。
先生も俗物でしかなかったと認めた上で、それでもまだ、先生に何かを求めている自分にどう決着をつけるか。その一番大事な部分を逃げたのはなぜか。ラストで刑務所の中で晴れやかな顔をしている姿を見せることで、全てを描けたと思ったか。それなら大きな間違いである。
彼が世界に対して抱いたものはそんなことでは解決しない。檻の中に入り、規則正しい生活をすること、それは彼が望んだものだ。しかし、本当の願いはそんなことではない。世界に対する齟齬。それを芝居は、かなりいい線まで描けていただけに惜しい。
芝居全体は説明不足で、1人よがりの部分が多い。もう少し分かりやすく作っても作、演出の中山治雄さんの描こうとしたものは損なわれることはなかったはずだ。なのに、彼はわざと分かりずらい見せ方をする。もったいない。力量がなくて描けなかったわけではないはずだ。これが自分の演出スタイルだとでも思ったのか。もっと作品の輪郭を明快にしても、作品世界を損なうことはなかったのにもったいない。
姉と彼との部分は明らかに描き込みが足りない。彼女が死んでしまったゴローの骨をダイヤモンドにして持ち歩くこと。忘れたくはないから、と言う言葉だけでは伝えきれないものがそこにはあったはずで、彼はそこが理解できないから、骨壷をコインロッカーに入れてしまう。この2人の間にある溝を描かなくては、ラストの姉弟の対面シーンが生きない。
彼は檻の中で、決して救われることはない。もしかしたら、そこは無間地獄かもしれない。もちろん、それは人を殺したからではない。(だいたい、彼は殺したのではなく、怪我をさせただけかもしれないのだ)彼が求めたものはここにはないからだ。ならば、どこにあるのか。それこそを、この芝居は描かなくてはならなかったのである。
仕事を辞めたいという彼をなんとか引きとめようとする上司。2人の対話が静かに描かれていく。姉のダイアモンドのストラップがなくなったから。先生がセクハラで訴えられたから。等々。口ではそんなふうに言うが、それだけが理由ではない。いきなり仕事を辞めてもらったら困る、と言う上司に対して彼は異常なくらいに穏やかに向き合う。
2人の会話は噛み合わない。そして、彼の中にある世界との違和感が少しずつ明確になっていく。彼が上司に対して抱く違和感。それが、尊敬する先生に対して感じるものと重なってくる。俗物と敬愛する存在が重なる時、そのどちらを殺してしまっても、いいくらいに両者の境界が曖昧になっていく。
とてもスリリングな展開なのだ。しかし、その緊張感が頂点まで高まる瞬間が残念ながら描ききれない。9時になり突然上司が話し合いを打ち切る。妻子の待つ家に帰らねばならないからだが、その時、彼はどういう行動に出るか。そこを見たかった。しかし、作者は、軽く流す。そこに意外性を感じたのも確かだ。あえてそういう展開を良しとしたのか。だが、その後の先生と向き合うシーンまであんなふうに流して描いたのはなぜか。
先生も俗物でしかなかったと認めた上で、それでもまだ、先生に何かを求めている自分にどう決着をつけるか。その一番大事な部分を逃げたのはなぜか。ラストで刑務所の中で晴れやかな顔をしている姿を見せることで、全てを描けたと思ったか。それなら大きな間違いである。
彼が世界に対して抱いたものはそんなことでは解決しない。檻の中に入り、規則正しい生活をすること、それは彼が望んだものだ。しかし、本当の願いはそんなことではない。世界に対する齟齬。それを芝居は、かなりいい線まで描けていただけに惜しい。
芝居全体は説明不足で、1人よがりの部分が多い。もう少し分かりやすく作っても作、演出の中山治雄さんの描こうとしたものは損なわれることはなかったはずだ。なのに、彼はわざと分かりずらい見せ方をする。もったいない。力量がなくて描けなかったわけではないはずだ。これが自分の演出スタイルだとでも思ったのか。もっと作品の輪郭を明快にしても、作品世界を損なうことはなかったのにもったいない。
姉と彼との部分は明らかに描き込みが足りない。彼女が死んでしまったゴローの骨をダイヤモンドにして持ち歩くこと。忘れたくはないから、と言う言葉だけでは伝えきれないものがそこにはあったはずで、彼はそこが理解できないから、骨壷をコインロッカーに入れてしまう。この2人の間にある溝を描かなくては、ラストの姉弟の対面シーンが生きない。
彼は檻の中で、決して救われることはない。もしかしたら、そこは無間地獄かもしれない。もちろん、それは人を殺したからではない。(だいたい、彼は殺したのではなく、怪我をさせただけかもしれないのだ)彼が求めたものはここにはないからだ。ならば、どこにあるのか。それこそを、この芝居は描かなくてはならなかったのである。