豊田利晃監督はどうしてこんな映画を作ろうとしたのだろうか。前作の『モンスターズクラブ』の時も同じようなことを思った。(思い返せば『蘇りの血』の時もそうだった。)今回も、ただ戸惑いばかりが大きい。話自身はとても興味深いのだが、この話の中で監督の思いがどこにあるのか、それがよくわからないのだ。
新興宗教の若き教祖(藤原竜也)が、交通事故を起こし、それがきっかけで団体を抜けたくなる。その心境の変化が伝わらないから、まるでこの映画に入り込めない。彼が何を感じ、どう考えたのか。事故で植物人間になった女(水原希子)との関係が徐々に描かれるのだが、あの女にまるでリアリティーがないし、彼が彼女から受けた影響もまるでわからない。大体あの女が車を運転しながら、ずっと横を向いているのが嘘くさい。(あんなの不可能だし、もし実際にそんなことをやってたらなら、もっと早く事故に遭うよ。)
教団の運営が教祖の家族によってなされていて、母親(なんと大楠道代)が首領で、姉(こいつの演技がまた、嘘くさくてたまらない)が実務運営をしているようなのだが、家内制手工業で、なんか、説得力のない教団なのだ。あんなので、運営がやっていけるのか、こっちが不安になる。要するに、何ら何まで嘘くさい。
それはもうひとりの主人公である教祖のボディーガードのひとりである男(松田龍平)にも言える。彼が何を考え、行動しているのか、わからない。最後はこの2人の対決へとお話が絞り込まれていくのだが、なかなかそうはならないのも、見ていてつらい。いつまでたっても松田龍平が脇役のままなのだ。ボディガード3人組のひとりでしかない。教祖を殺す話となる展開のさせ方もいいかげんでしかない。せめて、『地獄の黙示録』のような緊張感があればいいのだが、まるでない。安っぽいアクション映画のようなラストシークエンスで、がっかりさせられる。
閃光のように生きること。それが何を意味するのか。これまで教祖として生きたことに何の意味があったのか。疑うことなく、ただ仕事としてこなしてきただけなのか。彼の中で何が起きたのか。まったくわからないままだ。説明が欲しいのではない。だが、こんなにもスカスカでは映画としての体をなしていないのではないか。『モンスターズクラブ』もわけのわからないナレーションばかりで、まるでお話のない映画だった。観念的な映画を目指したのだとしても、こんな中途半端さでは誰も納得しないだろう。
新興宗教の若き教祖(藤原竜也)が、交通事故を起こし、それがきっかけで団体を抜けたくなる。その心境の変化が伝わらないから、まるでこの映画に入り込めない。彼が何を感じ、どう考えたのか。事故で植物人間になった女(水原希子)との関係が徐々に描かれるのだが、あの女にまるでリアリティーがないし、彼が彼女から受けた影響もまるでわからない。大体あの女が車を運転しながら、ずっと横を向いているのが嘘くさい。(あんなの不可能だし、もし実際にそんなことをやってたらなら、もっと早く事故に遭うよ。)
教団の運営が教祖の家族によってなされていて、母親(なんと大楠道代)が首領で、姉(こいつの演技がまた、嘘くさくてたまらない)が実務運営をしているようなのだが、家内制手工業で、なんか、説得力のない教団なのだ。あんなので、運営がやっていけるのか、こっちが不安になる。要するに、何ら何まで嘘くさい。
それはもうひとりの主人公である教祖のボディーガードのひとりである男(松田龍平)にも言える。彼が何を考え、行動しているのか、わからない。最後はこの2人の対決へとお話が絞り込まれていくのだが、なかなかそうはならないのも、見ていてつらい。いつまでたっても松田龍平が脇役のままなのだ。ボディガード3人組のひとりでしかない。教祖を殺す話となる展開のさせ方もいいかげんでしかない。せめて、『地獄の黙示録』のような緊張感があればいいのだが、まるでない。安っぽいアクション映画のようなラストシークエンスで、がっかりさせられる。
閃光のように生きること。それが何を意味するのか。これまで教祖として生きたことに何の意味があったのか。疑うことなく、ただ仕事としてこなしてきただけなのか。彼の中で何が起きたのか。まったくわからないままだ。説明が欲しいのではない。だが、こんなにもスカスカでは映画としての体をなしていないのではないか。『モンスターズクラブ』もわけのわからないナレーションばかりで、まるでお話のない映画だった。観念的な映画を目指したのだとしても、こんな中途半端さでは誰も納得しないだろう。