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映画・演劇のレビュー

《神戸の視点》実践!演劇プロデューサーへの道 2011『地中』

2012-03-14 22:16:50 | 演劇
 久々に小劇場であることの魅力が全開した芝居を見た気がする。これは新鮮な驚きに満ちた作品だ。小劇場であるにも関わらず、小さな作品ではなく、大きな作品であるというパラドックスが、本来の小劇場の魅力のはずなのに、最近は小さな芝居に安住する作品が多くて、少し寂しかった。だが、この作品はスケールの大きな小劇場演劇である。すばらしい。

 ここで言う「スケールの大きな作品」というのは、すごい舞台美術を作りこんで、たくさんの役者が右往左往する人海戦術スペクタクルを言うのではなく、劇的空間が想像の翼をどこまでも広げていく作品のことをいうのだ。この作品には手の込んだ仕掛けは何もない。対面式の舞台は素舞台で、舞台天井に大きな布がかかっているだけ。だが、その布がゆっくり下りてきて、舞台上を覆うとそこは地面となる。さらにその布が再び上がっていくと、そこは地中となる。そんな単純な仕掛けがものすごく刺激的な空間を現出させるのである。さらには布に隠されていた天井には朽ち果てた十字架のオブジェがあり、それが布の上下運動によって見え隠れする。しかも、その十字架も下りてくる。そんな単純な仕掛けが作品世界を、劇的空間を、広げる。

 目の前のなんでもない舞台は、目に見える世界も、見えない世界をもそこに作り、さらには4つの時間を隔てた物語がこのひとつの同じ場所で並行して描かれる。若い夫婦の物語は、地中をさまよう本来敵同士だった2人の男女の兵士の話になり、さらにはここで帰ってくるはずの誰かを待ち続ける家族の物語になる。そして、図書館の中に閉じ込められ身動きが取れなくなった幼い2人の男女の物語とも交錯する。別々の話が、なんの脈絡もなく、つながる。そこはあるときは荒野であり、また、あるときは戦場であり、古代の図書館であったこともあるし、墓場でもある。土の中であり、土の上でもある。芝居を見ている間はここが何処なのか、それすら曖昧なまま、見ている。4つの話がひとつの話につながっていくような、いかないような、そんな曖昧さすら心地よい。

 イメージの世界が明確な形をとって、すとんと心に落ちてくる必要はない。つまらない説明よりも感覚的に納得させることが大事なのだ。若い夫婦の女のほうが、この家族が帰りを待っていた彼らの娘である必要なんて、当然なくていい。ましてや生まれてくる子供たちが、図書館の2人であるわけではない。

 そんなことよりも、同じ場所が長い歴史の中で、さまざまな形に生まれ変わり、いくつものドラマを内に秘めながら、今もそこにあるという事実の方が大切なのである。地中の奥深くに今も埋もれているいくつもの記憶、物語、それを掘り起こしていきながら、それが描かれていく。生まれ、生き、やがて死ぬ。そのくりかえしの中で、人々は生きていく。そのことの喜びを噛み締めることが出来たなら、それに勝るものはない。

 10人のプロデューサー予備軍がたくさんの人たちの援助のもとに、手探りで作り上げたこの壮大なドラマは、そのことをしっかり伝えてくれるのである。


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