今回の森林浴はなんと1ヶ月に及ぶロングラン。その初日に行った。「同じ脚本でテーマが違う 4つの演出」とチラシにはある。このチラシ、けっこう丁寧に読んだ(最近の僕はチラシをまるで読まない人なのに)のだが、まるでその違いがわからない。どういうふうに違うのか。何がしたのか。不明だ。でも、そういう不思議ちゃんの大休さん(作、演出の大休真紀子)が好き。チラシにはかなりいろんな情報が満載されている。でも、読めば読むだけ、わからない。それだけに、まず見たほうが早いと思った。というか、なんだかすごく気になっただけ。4本の作品はタイトルもキャストも公演場所も、違う。野外(畑!)なんて、どうなのだ、と思う。老化チームによる『マルタの女』というヴァージョンを見た。予想通り、なんだか不思議な作品だ。
この芝居を見ながら、ストーリーではなく、この世界がおもしろいと思える。だいたい25名まで、とチラシにはある客席だが、あのふたつのエリアで25名は無理だ。15名が限界ではないか。僕が入った方には、毛布が敷いてあって、掛け布団まである。それって寝ころんで見てもいいよ、ということか? 僕の横の女の人は途中でちゃんと寝ころんでいて驚いた。さすがに、それは・・・と思った。こちらのエリアに10人。もうひとつのエリアは少し広いから15人か。それだけ入ると、壮観だろう。ぎゅうぎゅう詰めの囲まれた島から、舞台を見下ろす。(劇場全体が舞台となっている)少し高い場所に作られた客席からこの作品世界を見下ろすことになる。
ちゃぶ台もある。浴槽もある。なんだかよくわからないけど、ミラーボールも置かれてある。わけのわからないオブジェや、お釜とか、の所帯道具も、置かれている。そこに一匹の犬。(2人が演じる。チラシには、ノラ1、ノラ2と書かれてある)偶数奇数と名付けられた女もひとりの女なのか。あの喪服の中年男は何者なのか。彼に視線を向ける4人との対比。そして、みんなで寝転がるラスト。
わかることを目的にはしていないし、わからないことに苦痛はない。女、というよりも、「何者か」の内面をさらりと曝け出したような世界だと思った。このぐちゃぐちゃになった空間は、人を不安にさせ、安心させる。語り合い、寝転がり、ゴミ袋をぶちまける。(もちろん、芝居だから、生ゴミは出てこない。プラやペットボトルばかりだ。それがポコンポコンと音を立てる。それを踏んだり、放り投げたり。
老化チームは、台本から役者がわざと台詞を抜いていくことで、ストーリーを解体していくらしい。とんでもない演出だ。そういうのありなのか。大休さんはそれがいいと言う。老化なのですから、とこともなげに言う。楽しい。そうすると、なんだか気持ちはよい。
これをひとりよがりと言うのは、簡単だ。しかし、ここまですべてを曝け出して、見せようとする意志は生半可なものではない。頭の中だけで組みたてて一人で悦に入っているようなものはお断りだが、彼女の表現はそうではない。わかるとか、わからないとか、そういうものではなく、ぐちゃぐちゃになった内面をそのままさらけ出したような世界だ。説明はいらない。体感すればよい。途中から居直って、目の前のものを、見つめることにする。55分の不思議体験。
次回公演としては、
1 毎年10月01日に行うメガネの日、メガネ企画「第二回メガネ公演」
2 3月の末に、劇団員のお披露目公演を、再演2本、新作一部抜粋で1本の
3本からなる短編オムニバス「火星ハイツ3部作」を上演します。
3 「第三回メガネ公演」
4 11月か、12月には新作「指紋は象のはたけ」を上演いたします。
また、来週末に制作としてついております、遊劇舞台二月病の公演案内は次のメールにて送信させていただきます。
旗揚げから、年3本のペースでずっと来ていますが、これからもそうなりそうです。
今後ともみなさまどうぞよろしくお願い致します。
大休真紀子
080-4014-0068
postmomen@softbank.ne.jp
(携帯を紛失しています。アドレスが変わっていますので、ご登録よろしくお願い致します。)
畑公演、老化版の写真(撮影、檜皮一彦)を添付させていただきます。何かの記念に。
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「木がいっぱい並んでいる」へご来場くださいまして、ありがとうございました。(二月病へのご来場もありがとうございました!)
この作品は、ちょうど私自身の過渡期となる作品であり、「私が思う演劇」から、「私が思う次の演劇」への移行となる作品でした。
初めての野外公演で、初めてのロングラン公演、初めての長編作品、初めての4パターン同時演出でした。
宣伝をしていない東京からのお客様や、広瀬さんを含め、観てほしい演劇関係者の方、届いてほしいお客様に観てもらうことが出来ました。
お客さんからの感想は、相変わらず、その人自身の鏡性があるように思います。ちゃんと普遍性が機能していました。
でも今回は、
「演劇の枠にとらわれず、今よりももっともっと自由にやってほしい」
「上演する土地を京都か、東京、パリに移すべきだ!」
というアドバイスをたくさんの方々にいただきました。
もちろん両極端ないろいろなご意見をいただきましたが、それは、キチンと判断されるものを作っているからで、私の思う次の演劇は間違っていないのだなあと力強いたくさんの出会いの中で私の誤解かもしれないけれども、そう思いました。
三つの意味を持たせるためのパラフレーズを使った会話劇の文体から、時間軸を三つに分けたことにより、一人の役者が三人以上の身体を背負う文体へと変容しました。
演出としては、
同化チームのように、セリフとしての味わいを重視したものと、老化チームのポエティックな質感が、少しやり方を変えるだけで出せるということも分かりました。
観にいらしてくださり、この公演にお付き合いいただき、ありがとうございました。