大友克洋監督最新作。久々の実写映画。しかも、他人の漫画の映画化である。彼の独特な世界が、他者の作品でどう絡みあい、どんなふうに提示されるのかが、とても楽しみだった。そして、期待に違わぬ大友ワールドが出来ていた。
作品全体のバランスを著しく崩してもかまわない。まず作品の世界観を優先する。大友監督らしい基本姿勢が今回も前面に出ている。「ええっ!」というドラマ作りが成されている。うまく作る気なんてまるでない。ドラマとしての起承転結なんて全く気にしない。『アキラ』の時は驚いたしこれではダメだ、と思ったが今回はそうは思わなかった。
それでも、ラストなんて、こんなところで終わっていいのか、と突っ込みを入れたくなる。尻切れトンボとしか言いようがない。一体、ヌイ(江角マキコ)に対してギンコ(オダギリジョー)はどういう対応を施したのだろうか。探幽(蒼井憂)との関係も説明ないままだし、だいたい2つの話(ヌイのエピソードとギンコのエピソード)を並行して描きながら、前者が回想だなんて、変である。普通なら回想は回想の枠を見せてから、交互に描くはずなのに、それがないから、この2つは同時間の出来事だと最初は思うように出来ている。不備なら、まだまだある。
ヌイの現在が、ギンコの現在と重なることでクライマックスに突入するのだが、ここで作品世界が2人の話として閉じてしまい、広がっていくことがない。これはどうしたことか。蟲たちが蠢く世界のはずが、気付くとヌイとギンコの2人だけの世界でしかない。まるで2人の問題が、この世界の全てであるかのように描かれていく。
蟲たちの世界。人知が及ばない蟲たちに動かされている世界。そんなこの世の不思議が描かれる。ほんの近過去の物語。太古を思わせる圧倒的なロケーション。そこに蠢く人間達の卑小さ。僕たちが生きる世界の成り立ち。そんなものが描かれる壮大な世界観に裏打ちされた世界、のはずなのに。
ヌイと少年との出会いから始まる関係性を描く部分が、ギンコの旅と同時進行で描かれるが、ここでもっと幾つものエピソードの連鎖を見せ、そこから緩やかにクライマックスに突入するはずなのに、いきなり本題に入る。
全くエンタテインメントする気もない。上手くまとめる気もさらさらない。ただ自分の本能の赴くまま作ってるような印象を与える。自由自在の映画だ。でも、これでは、この作品が嫌いな人も多そう。
作品全体のバランスを著しく崩してもかまわない。まず作品の世界観を優先する。大友監督らしい基本姿勢が今回も前面に出ている。「ええっ!」というドラマ作りが成されている。うまく作る気なんてまるでない。ドラマとしての起承転結なんて全く気にしない。『アキラ』の時は驚いたしこれではダメだ、と思ったが今回はそうは思わなかった。
それでも、ラストなんて、こんなところで終わっていいのか、と突っ込みを入れたくなる。尻切れトンボとしか言いようがない。一体、ヌイ(江角マキコ)に対してギンコ(オダギリジョー)はどういう対応を施したのだろうか。探幽(蒼井憂)との関係も説明ないままだし、だいたい2つの話(ヌイのエピソードとギンコのエピソード)を並行して描きながら、前者が回想だなんて、変である。普通なら回想は回想の枠を見せてから、交互に描くはずなのに、それがないから、この2つは同時間の出来事だと最初は思うように出来ている。不備なら、まだまだある。
ヌイの現在が、ギンコの現在と重なることでクライマックスに突入するのだが、ここで作品世界が2人の話として閉じてしまい、広がっていくことがない。これはどうしたことか。蟲たちが蠢く世界のはずが、気付くとヌイとギンコの2人だけの世界でしかない。まるで2人の問題が、この世界の全てであるかのように描かれていく。
蟲たちの世界。人知が及ばない蟲たちに動かされている世界。そんなこの世の不思議が描かれる。ほんの近過去の物語。太古を思わせる圧倒的なロケーション。そこに蠢く人間達の卑小さ。僕たちが生きる世界の成り立ち。そんなものが描かれる壮大な世界観に裏打ちされた世界、のはずなのに。
ヌイと少年との出会いから始まる関係性を描く部分が、ギンコの旅と同時進行で描かれるが、ここでもっと幾つものエピソードの連鎖を見せ、そこから緩やかにクライマックスに突入するはずなのに、いきなり本題に入る。
全くエンタテインメントする気もない。上手くまとめる気もさらさらない。ただ自分の本能の赴くまま作ってるような印象を与える。自由自在の映画だ。でも、これでは、この作品が嫌いな人も多そう。