シニア劇団は元気だ。劇団大阪は彼らを組織して増殖していく。劇団内に、いくつもの集団をシニアで作るつもりか。卒業して終わり、ではなく、そこをスタート点として本格的に劇団として活動していく。さらには年度ごとの集団でも交流する。今回も2次生である豊麗線のメンバーがサポートしている。もちろん、劇団大阪自身のサポートもある。
とても丁寧に作られてある。ただのシニアの発表会ではなく、本格的に劇団として活動していこうという心意気すら感じさせる。第2の人生の楽しみとしての演劇ではなく、これこそが第2の人生そのものだ、という心意気を感じる。だから、僕たちも自然と見るハードルを上げる。
ただ、彼らが見せる芝居は他の小劇場演劇と同列にして評価されてしかるべきだ、と考えると、残念だがこの作品はそれだけの可能性を感じさせない。この作品を自分たちが演じることで、どれだけの新鮮な感動を呼ぶのか、そのための仕掛けはあるか、と考えるといささか心許ないのだ。取りあえず、丁寧に作り上げる、そこまでだ。出来ることなら、これを通してどこに行き着こうとするのか、そんな指針が欲しい。何を目指して芝居をするか。シニアだから出来ることとは何なのか。その答えが欲しいのだ。今後は今までの「珍しさ」という次元ではなく、そこからもう一歩も二歩も踏み出さなければならないだろう。
そこでは、この芝居が死を扱うということも大きなポイントだ。高齢者たちが死と向き合う芝居を通して、どういうメッセージを伝えるか。それがこの台本自身から発するものではなく、これを通して自分たちだからこそ、感じる、考えるものとして見えてくると面白い。