もう少し具体的にリアルな展開を見せるか、あるいは抽象的なドラマとして、象徴的な展開を見せていくのか、そのどちらかに作り手は立場を置くのかを明確にしなくては見ていてストーリーにも乗り切れない。台本(馬場千恵)はもちろんのこと、演出(猪岡千亮)も徹底しきれてないから、とりとめのない芝居になってしまった。何処を拠りどころにして演じたらいいのか分からないから、役者たちも戸惑っており、可哀想である。
もちろんこれは、悪い芝居ではない。とても誠実で真面目な好感の持てる作品である。それだからこそ残念でならないのだ。彼らが抱えるものの重さが伝わりきらないから、妙に深刻ぶっているばかりに見える。
主人公の黒田(菊池潤)はまるで廃人のように海を見ている。彼は死んでしまった娘のことに囚われたまま自分も死んでしまったように生きてる。まず、この設定についていけない。12年もの間、人は同じように心を閉ざしたまま生きていくことが出来るのだろうか。だいたい生活はどうしてるのだ?休みの日は海を見ながら腑抜けのほうに過ごし、仕事は抜け殻のようにこなしているとでも言うのか?それならそれで、そういうフォローがあってもいい。観客の想像に委ねるならそれでもいいが、それにしても、何か一言説明が欲しい。この芝居は、一事が万事この調子である。ラスト近くの妻の死にしても、同じ。入院している彼女に対して、彼はどんなふうに接してきたかがわからないから、戸惑う。
だいたい全てが都合よく、出来すぎ。染谷(中村大介)との再会も、染谷の娘碧(鶴留真由)が黒田になついていたことも、偶然にしては出来過ぎ。彼女が死んだ娘と同じ歳であること、12年前に別れた恋人が12歳になった娘を連れてやってくること、海の家のおっちゃんが幼なじみだったとか、登場人物があまりに見事につながり過ぎていて、それ以外の人物は、一切出てこないなんていうのも不思議な話だ。
2匹の猫に何を象徴させたかったのかも、よくわからない。ただなんとなく猫に喋らせたかっただけ、なんて言われたら呆れるしかないけど、実際のところはどうなんだろうか。
津波に襲われて、自殺してしまうというラストの処理も釈然としない。彼が12年間も良心の呵責に苛まれて生きてきたなんて思えないのが辛い。ただ甘えているだけにしか見えないのだ。ヒロインであるはずの碧が、彼にどう関与したのかが大事なポイントのはずなのに、あんなに2人が絡むシーンはあるのに、その大事なことは描かれていないのは心外だ。
それぞれの人物の背景がしっかり描きこまれてないから因果関係もわかりにくい。もちろんそんなものを説明されたからといって面白い芝居になるわけではないけど。ただ、全てが中途半端なので、何を見せたいかが伝わりきらないのがもどかしい。人物配置もあまりに機械的でリアルでない。かといってドラマ全体を象徴的に作っているわけでもない。
発想はいいのだが、それをドラマとして定着させるだけのリアリティーが欲しい。そこがおざなりになっているから話にのめりこめない。敢えてそっけない人物配置をしているのなら、そうすることで見えてくるものをしっかり提示して欲しい。よくわからないけど緊張感のある舞台というのは時々あるが、この芝居はよくわからない状態で、安易に人物設定をしているから、役者たちが、個々にキャラクターを膨らませなくてはならなくなった。それでは台本失格というしかあるまい。
どうしてこんなにも緩い構成になったのだろうか。そんな台本の欠陥を演出がそのまま引き摺る。人物たちをもっとしっかり生きた人間として、この空間に居続けさせるための演出が欲しかった。せっかくの美術がもったいない。(ホリゾントを効果的に使って、広い空と海を表現した、とても良くできた空間を造形している)
各々の痛みを、知的障害を持つ碧という少女に象徴させて、彼女が舞台で演じると言う『人魚姫』のストーリーも絡めてこの芝居が描こうとした世界はとても面白いものだけに、この出来は残念でならない。もう少しなんとかすればいい作品になったはずだ。
もちろんこれは、悪い芝居ではない。とても誠実で真面目な好感の持てる作品である。それだからこそ残念でならないのだ。彼らが抱えるものの重さが伝わりきらないから、妙に深刻ぶっているばかりに見える。
主人公の黒田(菊池潤)はまるで廃人のように海を見ている。彼は死んでしまった娘のことに囚われたまま自分も死んでしまったように生きてる。まず、この設定についていけない。12年もの間、人は同じように心を閉ざしたまま生きていくことが出来るのだろうか。だいたい生活はどうしてるのだ?休みの日は海を見ながら腑抜けのほうに過ごし、仕事は抜け殻のようにこなしているとでも言うのか?それならそれで、そういうフォローがあってもいい。観客の想像に委ねるならそれでもいいが、それにしても、何か一言説明が欲しい。この芝居は、一事が万事この調子である。ラスト近くの妻の死にしても、同じ。入院している彼女に対して、彼はどんなふうに接してきたかがわからないから、戸惑う。
だいたい全てが都合よく、出来すぎ。染谷(中村大介)との再会も、染谷の娘碧(鶴留真由)が黒田になついていたことも、偶然にしては出来過ぎ。彼女が死んだ娘と同じ歳であること、12年前に別れた恋人が12歳になった娘を連れてやってくること、海の家のおっちゃんが幼なじみだったとか、登場人物があまりに見事につながり過ぎていて、それ以外の人物は、一切出てこないなんていうのも不思議な話だ。
2匹の猫に何を象徴させたかったのかも、よくわからない。ただなんとなく猫に喋らせたかっただけ、なんて言われたら呆れるしかないけど、実際のところはどうなんだろうか。
津波に襲われて、自殺してしまうというラストの処理も釈然としない。彼が12年間も良心の呵責に苛まれて生きてきたなんて思えないのが辛い。ただ甘えているだけにしか見えないのだ。ヒロインであるはずの碧が、彼にどう関与したのかが大事なポイントのはずなのに、あんなに2人が絡むシーンはあるのに、その大事なことは描かれていないのは心外だ。
それぞれの人物の背景がしっかり描きこまれてないから因果関係もわかりにくい。もちろんそんなものを説明されたからといって面白い芝居になるわけではないけど。ただ、全てが中途半端なので、何を見せたいかが伝わりきらないのがもどかしい。人物配置もあまりに機械的でリアルでない。かといってドラマ全体を象徴的に作っているわけでもない。
発想はいいのだが、それをドラマとして定着させるだけのリアリティーが欲しい。そこがおざなりになっているから話にのめりこめない。敢えてそっけない人物配置をしているのなら、そうすることで見えてくるものをしっかり提示して欲しい。よくわからないけど緊張感のある舞台というのは時々あるが、この芝居はよくわからない状態で、安易に人物設定をしているから、役者たちが、個々にキャラクターを膨らませなくてはならなくなった。それでは台本失格というしかあるまい。
どうしてこんなにも緩い構成になったのだろうか。そんな台本の欠陥を演出がそのまま引き摺る。人物たちをもっとしっかり生きた人間として、この空間に居続けさせるための演出が欲しかった。せっかくの美術がもったいない。(ホリゾントを効果的に使って、広い空と海を表現した、とても良くできた空間を造形している)
各々の痛みを、知的障害を持つ碧という少女に象徴させて、彼女が舞台で演じると言う『人魚姫』のストーリーも絡めてこの芝居が描こうとした世界はとても面白いものだけに、この出来は残念でならない。もう少しなんとかすればいい作品になったはずだ。