たまたまである。たまたま手にしてなんとなく読み始めたら、これがまぁ、おもしろくて止まらない。そのうち、彼らがこの先何をするのか気になり、そこに今の自分を重ねているうちに、ここに答えがあったのかと気づく。まるで神さまからのプレゼントのような小説だった。自分が何をなすべきなのか、教えられた気がする。なんだかうれしい。
これはシリーズもので、なんとセカンドシーズン第2巻という中途半端な一冊なのに、この一冊だけですべてが完結している。だから、こんなにもおもしろかったのに、たぶんこのシリーズの他の本は読まないだろう。読む必要がないと思うからだ。ここにはすべてが十二分に収められてある。(でも、きっと読んでしまいそう)
初めて読んだ大山淳子は小路幸也みたいな素晴らしいストーリーテラーだ。こんな人がいたのか、と驚く。見事にあらゆる要素がこの1冊には凝縮されてある。お話はあまりによく出来すぎていて嘘だけど(作り話ということ、ね)、これはリアルを求める小説ではなく、人生をどう生きるかという寓話だからこれでいい。こんなにもエンタメなのに、昔話とか神話とかそういう類のものだと受け止めた方がいい気がする作品なのだ。楽しみながら、ここにこめられた意味だけをしっかりと感じるといい。
出てくる人たちがみんないい人ばかりだ。そして彼らのように生きようと思う。時間を大事に使って、みんなが幸せになれるようにサポートできたならいい。もちろんひとりひとりにやれることなんか、ささかかだ。だけど、自分をまず満足させて、そのうえで隣の人を幸せにして、それが周囲の人へと伝播して、ほんの数人、数十人に伝わればいい。そんな穏やかな気分にさせられる。
私的なことで恐縮だが、僕は今年3月に仕事を辞め、6月に母親を亡くし、今日まで、身も心もボロボロだったけど、この本の第6章「母を訪ねて」を読みながら、こういうのもありか、と思い、救われた。もう自分には何もできなかったと落ち込むべきではないし、母だってそんなふうには思っていないだろうと思う。やるべきことはやった。だから次は自分のために何をしたらいいのかを考えるべきだ。そんな風に思えた。だから、時間はまだまだあるから、ゆっくりとその答えを出そうと思う。今は大好きだった仕事をやめてよかったと思っている。いつもまにか、そんなこんなを思いながら、この小説を読んでいた。
この小説のタッチは夏川草介に似ている。『神様のカルテ』の主人公とこの小説の主人公は似ている。(カバーイラストも同じ人だったし)あの小説の優しさと胡散臭さ!
ラストはアニメの『アルプスの少女 ハイジ』のエピソードになる。僕もリアルタイムで毎週日曜日の夜、カルピス名作劇場を欠かさず見ていた。「おうちのかえろう」というこの最終章(『それぞれの家』)にふさわしい幕切れだ。母と娘が再会する。涙が溢れる。
ここまで個人的で抽象的なことばかり書いてきたからここからは少しちゃんと書く。これは冴えないお人よし弁護士、百瀬太郎を巡るお話である。類は友を呼ぶ。彼の周囲に集まる変人たちのだけど、まっすぐな生き方がなんだか眩しい。この本を読みながら、こんなのんびりとした生き方にあこがれる。ありえないけど、ありえたならいいな、と思う。
ここまで書いてきて、なんだかもう書く気がしなくなってきたので、おしまい。