エキスポシティ109シネマのIMAXで見てきた。最初は巨大スクリーンいっぱいに広がる大迫力に圧倒されたけど、すぐに慣れた。そのうち見あげるから首が痛くなるし、お話もアクションもあまりに単調すぎて、少し眠くなるし、大丈夫かこの映画と不安になる始末だ。22年前の興奮が蘇るわけではない。事前予習していたけど、そのときの感動の大きさと比較しても、この映画の驚きは小さすぎる。
全く新機軸のない映画だ。前作の焼き直しですらない。アナログな公衆電話による移動がなくなったので、緊張感もなくなった。どこに現実があるのかという不安を抱えながら、でもわかりやすい敵と戦う第1作とはまるで違う。敵の存在すら曖昧だ。ネオ(キアヌ・リーブス)がほんとうに救世主なのかどうか、という根本的な問いかけも、どうでもいいような展開の果てのラストの唐突な救世主の存在提起とか、そんなオチでいいのかと心配になる。これはただの壮大なスケールで贈る『マトリックスごっこ』でしかないのではないか。
期待が大きかっただけに失望の大きさは半端ではない。しかも、今回はちゃんとIMAXで見ているのだから、劇場のせいにはできない。2日前にTVサイズで再見した第1作のほうがずっと新鮮な驚きを提示してくれたのだから、どうしようもない。
どうしてこんなことになったのか、と考える。作品世界がこんなにも広がらなかったのはなぜか。台本のせいだ、というのは簡単だ。この世界がまやかしであることなんか、最初からわかりきっている。過去の3作品の後を受けて、その先にあるものを20年ほどの歳月を経て見せるうえで、どれほどの仕掛けが必要か、なんて作り手にはわかりきったことで、そのハードルを越える勇気がないのなら、あの歴史的傑作の続編なんか作るべきではない。『ブレードランナー』の続編を手掛けたドゥニ・ヴィルヌーブにはそれだけの覚悟を感じたけど、この映画にはそれを感じなかった。今回単独で監督に挑んだラナ・ウォシャウスキーの独自の視点はここにはない。
ゲームクリエーターとして平穏に暮らしているネオのもとに、もう一度目覚めるようにとやってくる彼の信者たち。冒頭の展開は悪くはない。1作目の焼き直しだけど、こういうデジャヴュから始まるべきだとは思った。だけど、その後の展開がもたもたする。さらには彼を追いかけるエージェント側が、前作の3人のような強烈さがない。そこは当然人数の問題ではないはずだ。やがて、派手で(もちろん膨大なお金をかけている)手の込んだアクションシーンが虚しくなる。ネオの中にある逡巡がこの世界の成り立ちとどういうふうに連動し、それがどこに行きつくこととなるのか、というお話の妙味がまるで感じられないままダラダラと映画は続く。2時間28分が長い。これはちょっした悪夢だった。こんな映画を見たかったのではない。