辻村美月の長編小説の映画化。500ページにも及ぶ作品を2時間の映画に収めるのは至難の業だ。お話自体はシンプルだから骨格をなぞるだけなら簡単。でもそれではまるで意味はない。彼女がこんな単純なファンタジーをこんなにも膨大な長さの作品にしたのは、それだけの意味があるからだ。そこをちゃんと抑えなくては映画化する意味はない。原恵一監督はかなり苦しんだのではないか。安易な映画を作るつもりはない。勝算のない戦いはするべきではない。それ以前の問題として自分がやりたいと思えない企画はする意味がない。本気で作るアニメーション映画にかかる労力は実写の比ではない。実写映画とアニメ映画のいずれも手掛ける彼には自明のことだ。『カラフル』で生と死のはざまをさすらう子供の話を既にやっているから。同じような映画を作るのでは意味はない。そんなこんなも含めて、この困難な企画に挑んだのだろう。傑作『百日紅 Miss HOKUSAI』などでも原監督と組んだ丸尾みほが脚本を担当した。
前半は正直言うとあまり乗れなかった。大丈夫か、これで、と心配したほどだ。でも、そこもまた彼の戦略だったようだ。抑えに抑えて淡々としたドラマにした。こんなよくあるようなファンタジー映画の定番のお話をことさらこれ見よがしに作っても意味はないし、そんなことをすると観客にそっぽを向かれる。だから、客観的にさりげなく見せることに終始した。4月から始まり、5月、6月と時を重ねる。7人の子供たち(彼らはいずれも中学生)がここに来て過ごす時間を見せていく。(というか、見せてないけど。だって主人公の女の子は初日だけでその後は数か月行ってないから。)
1年間限定の居場所と「おおかみ様」から最初に言われているのに焦らない。鍵は城のどこかにある。その秘密の鍵は1つだけ隠されており、見つけた者はどんな願いでもかなえてもらえる、と言われてもそんな鍵はどこにもないし簡単にみつかるわけでもないから。しかも願いを叶えられるのは見つけた者1名限定だし。おしまいの3月に向けてカウントダウンしていく時間の経過もさらりと描いた。大事なことはそこではないからだ。では、何が大事なのか?
主人公はクラスメートのいじめから不登校になった中学1年生になったばかりの女の子、こころ。映画は彼女の視点から描かれる。同じようにここにやってくることになるほかのメンバー6人の個々のドラマは残念だが最小限に抑えた。そこがこの作品の肝なのにそうしなくては2時間には収まらないから。原監督、苦渋の決断だったはずだ。でも、こころのお話だけに絞り込んだからなんとか成り立った。
最後のところもよかった。原作のエッセンスをきちんと取り込んで丁寧に作り上げた。お話をしっかりと見せることが大事だ。アニメとしての面白さを前面に押し出さない。絵作りは丁寧だけど、そこには『すずめの戸締り』のような驚きはない。最初からこの企画では不可能だし、意味はない。でも、このお話を実写ですると生々しいし、息苦しい。このつらさはアニメだから耐えられる。おおかみ様(なんと芦田愛菜が演じる)の秘密が明らかになるところも意外性はない。それでいい。あらゆる意味でこの映画は敢えてフラットな作り方を貫徹した。こころが抱える闇と向き合い、そこから彼女がどういうふうにして立ち上がるか、それだけでいい。毅然と学校側とも向き合う母親もいい。こちらも麻生久美子が演じている。声優のキャスティングを重視した。ドラマに説得力を持たせることを大事にしたからだ。その結果、必ずしも凄い傑作というわけではないけど、静かに心にしみいるような映画に仕上がった。