いつもながら、めちゃくちゃなことをしてくれる。常識ではない。非常識だ。でも、それをさらりとやってのける。そこが筒井さんのすごさであろう。しかも、何のけれんもない。こんなそんなを自然体でやってのける。理論武装なんかもしない。筒井さんの「だって、したかったんだもん、」という声が聞こえてくる。「おまえはただの子供か、」と言われそうだが、気にはしない。
いたずらと紙一重。別にこのテキストじゃなくてもよかったのではないか、とは思う。「三島由紀夫ってかっこいいじゃん」という声がまた、聞こえてくる。
もちろん、そんないいかげんな理由ではないことは、十分わかるけど、たとえそれがそんな理由であったとしても、筒井さんなら納得できる、ということなのだ。まず、おもしろいかどうかが決め手だ。おもしろくて飽きない。理屈ではない。今回の挑戦は、テキストの解体ではない。この堅固なテキストだから出来ると踏んだのだろう。
テーマとかどうでもいい。完璧に作られた世界をある種の方法論のもとに再構築して、生まれるものが見てみたいという願望。三島が見たらきっと怒るのではないか。それくらいふざけているように見える。だが、筒井さんはふざけてなんかいない。彼は自分の欲望に忠実なだけだ。それは誠実ですらある。最初の稽古で覚えてきたせりふをカメラに向かって発する。その映像を上演時に流す。そのときのせりふと、本番での役者たちの演技のコラボで、作品が成立する。そんなバカな話はない。しかも、近鉄の俊徳道から四天王寺まで歩いた映像を挟み込む。主人公の俊徳のドラマとして、それもまた絶妙なコラボとなる。
どこまでもふざけていい。思いつきでいい。破天荒な挑戦がどこに行き着くのか、あるいは行き着かないのか。これはそんなこんなが、全て詰まったパフォーマンスである。
いたずらと紙一重。別にこのテキストじゃなくてもよかったのではないか、とは思う。「三島由紀夫ってかっこいいじゃん」という声がまた、聞こえてくる。
もちろん、そんないいかげんな理由ではないことは、十分わかるけど、たとえそれがそんな理由であったとしても、筒井さんなら納得できる、ということなのだ。まず、おもしろいかどうかが決め手だ。おもしろくて飽きない。理屈ではない。今回の挑戦は、テキストの解体ではない。この堅固なテキストだから出来ると踏んだのだろう。
テーマとかどうでもいい。完璧に作られた世界をある種の方法論のもとに再構築して、生まれるものが見てみたいという願望。三島が見たらきっと怒るのではないか。それくらいふざけているように見える。だが、筒井さんはふざけてなんかいない。彼は自分の欲望に忠実なだけだ。それは誠実ですらある。最初の稽古で覚えてきたせりふをカメラに向かって発する。その映像を上演時に流す。そのときのせりふと、本番での役者たちの演技のコラボで、作品が成立する。そんなバカな話はない。しかも、近鉄の俊徳道から四天王寺まで歩いた映像を挟み込む。主人公の俊徳のドラマとして、それもまた絶妙なコラボとなる。
どこまでもふざけていい。思いつきでいい。破天荒な挑戦がどこに行き着くのか、あるいは行き着かないのか。これはそんなこんなが、全て詰まったパフォーマンスである。