久しぶりに「まさにこれぞ小劇場演劇だ!」という気分にさせられる芝居を見た。これは僕がよく知っている懐かしい世界だ。芝居にだけに可能な魅力をそこで満喫した。それはこの劇場自体の雰囲気や周囲のロケーションも含めての感想でもある。今回初めてこの「狂夏の市場」というスペースに来た。オープンから2年ほど、これまでも盛んに公演を行っているようだけど、コロナ禍ということもあり、自分の芝居を見ることへのモチベーションも落ちていて、なかなか行く機会がなかった。
ここだけではなく、この2年、芝居を見ること自体が少なくなっていた。もちろんコロナのせいである。昨年も今年も年間50本ほどしか劇場で見ていない。芝居を見るという習慣がなくなりつつあるほどだ。そんな中、この芝居を見たのだ。見てよかったと心から思える。とても刺激的で「あぁ、小劇場の芝居ってこれだよな」と改めて思う。
このわけのわからなさがなんとも心地よい。役者たちの熱量にほだされる。異次元空間に放り込まれたような気分。狂夏の市場という劇場空間の醸し出す空気と作品自体の孕み持つ異常なテンションが噛み合い、そこから狭い劇空間が無限に広がる闇の世界へと通じる。昔、唐十郎のテント芝居を見ていた頃の興奮に近い。舞台の奥に引き込まれていくような気分。20席ほどに設定された劇場(ほんとうならぎっしりお客を詰め込むと30席以上収容は可能だろうが)は確かに狭い。だけど、この狭さが人の心の底に広がる内面の奥、その深さにも通じる。
そんな場所できっちりと作りこまれたセットを配して、劇空間は躍動する。2人芝居である。今回4人の役者たちがダブルキャスト、キャストトレードによる全4バージョンを演じる。僕が見たのはA,Bプロの2作品だ。同日の昼、夜で連続して見た。
最初に見たAプロ(パンフでの表記はAチーム)は、武田操美、中野聡。わけのわからない世界に誘われる。頭で理解しようとしても混乱するばかりだ。そんなことをしても仕方がない。ただ、見守るしかない。このふたりが作る世界は穏やかで心地よい。彼らに導かれて、浮遊する。一転してBプロ(川田陽子、川本三吉)は、まるでアングラ芝居だ。メリハリがしっかりしていて見やすい。Aプロでは、よくわからないまま漂うように流れていったお話が、とてもわかりやすく展開していく。それは同じ日の2度目だから、というわけではない。役者の資質と表現力の違いだ。演出はどちらも同じ岩切千穂。演出方法を変えたわけでもない。淡いタッチのAプロと、がっちりと作り上げられたBプロ。どちらも同じように面白い。役者に合わせて作品がこんなふうに変質していく妙。よくわからなくてもいいし、そのほうが面白い。そんな気分にさせられるところに芝居の魅力がある。生の役者がすぐそこにいる。彼らがここにいる僕たちを(目の前で)ここではないどこかへと導く。役者の力、演じる力、というものを改めて認識させられる。4人の個性がきちんと表現される。
竹内銃一郎の『あたま山心中』は何度か見ている。ここに描かれるのはなんとも不思議な世界だ。ふたりの男女が旅に出る。チルチルとミチルの兄妹。失われた幸福を捜しに行く。列車に乗って遠くへと旅立つ。失われたものはどこにあるのか。タイトルにある「あたま山」の存在。そしてもちろんメーテルリンクの「青い鳥」。あたまの上に生えた木を引き抜くと、池ができるというイメージ。父親と母親のこと。彼らの死。自分たちの行く末。死出の旅。何を失い、何を求めるか。ふたりが両親になり、患者と看護師になり、やがて、鳥籠を抱えた兄はひとり病室で佇む。
狭い空間に延々と広がり続ける世界。それは荒涼とした闇だ。たったふたりの兄妹、夫婦、親子。川田、川本チームの狂気と、武田、中野チームの静寂。コインの表裏のように反転する2作品でひとつの世界を堪能した。