いくらなんでもこの2冊を並べて論じることはなかろう、と自分でも思う。たまたま同じ日に連続して2作を読んだし、読みやすくて、どちらも一瞬で読み終えたけど、まるで違う小説だし、一緒に論じるような共通点はない。でも、なんとなく並べてしまった。
どちらも日常のスケッチだ。たわいもない風景がや光景が描かれる。ドラマチックな展開はない。タイトルにもあるけど、ただの日記だ。小手鞠るい『文豪中学生日記』はふつうの中学生の女の子が書いた1年間の日記という体裁である。先にも書いたように事件は起きない。ささやかな日々のそれでも彼女にとってはいろんな出来事がある日々の記録。紀貫之を模して自分も女の子なのに男の子のフリして書こう、と思うけど、途中でたいした理由もなく挫折してしまう。でも、1年間日記は続くよ。読み終えた時、後には何も残らない。でも、どれが不満、ではなく、反対になんだか気持ちいい。潔いというか。
実はまるで同じ感想を長嶋有『ルーティーンズ』にも抱く。作家と漫画家夫婦のコロナ下でのなにげない日常スケッチ。2歳の娘を抱えて子育てもしている日々。あっけなく読み終えれる。気持ちがいいくらいに何も残らない。「途中で読むのをやめました。一晩で読み終わってしまうのがもったいなくて!」と本の帯に藤井隆さんが絶賛しているけど、僕は一晩で読み終えてしまった。柴崎友香さんや綿矢りささんのようにおすすめはしない。でも、読んでいてそのそっけなさが楽しくもある。そんな気もしたから、やめられなかったのも事実だ。どうしてこんなにもなんでもないのだろうか。でも、そのなんでもなさが、かけがえのないものに思えたのも事実だ。こんな日常が確かに大事なものなのだと思う。そんな日常を愛おしく思う。コロナ禍で、失ったものは大きい、これから先だって不透明だ。でも、今のこの時間を大事にして毎日を生きていくしかない。生きていきたい。