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映画・演劇のレビュー

『ベイブルース 25歳と364日』

2014-11-28 20:36:11 | 映画

漫才のことは知らない。興味ないというのではなく、そんな時間がないからだ。だから、この映画のモデルになった二人組のことも、名前くらいしか知らなかった。しかも、これは吉本が制作した映画だ。近年量産される安易な「映画もどき」の作品の1本だと思ったから、最初は見る気がしなかった。だが、劇場でたまたま見た予告編が琴線に触れた。なんだか胸いっぱいになる。こういう「難病もの」(のようなもの)は好きではない。だが、それだけには終わらさない気迫のようなものをそこに感じた。で、劇場に行く。

こういう自伝的なお話を映画化した時、いちばん気をつけなくてはならないのは、主人公との距離の取り方だろう。あまりに感情移入しすぎてもダメ(感傷過多はみっともない)だし、距離を取り過ぎてもまずい。(クールな映画ではなく、熱い映画なのだから)しかも、この場合、主人公は自分自身と、死んでしまった相方だ。2人のバランスもどう取るか、それもかなり微妙。無理難題が続出。だが、新人監督である高山トモヒロは、最善を尽くす。

これは今から30年ほど前の出来事だ。まだ、15歳だった2人が、桜宮高校(映画では桜高校)の野球部で出会う。主人公の2人を、15歳から25歳まで演じたのは波岡一喜と趙民和。この2人で、15歳はないわ、と思うけど、この映画の場合は、そこを別人の若い役者に演じさせるわけにはいかない。いちびりではなく、まじで15歳をやるしかない。映画は一気に最後まで10年間を駆け抜けるのだ。しかも、難病ものでもない。だって、相方の河本は病気になったところから、すぐに死ぬ。あそこまで、あっけないなんて、思いもしなかった。(現実は過酷だ)映画はそんなところでは泣かさない。高山と河本のドラマは、河本の死で終わるが、それがゴールなんかではないことは、誰もが知っている。

漫才を描くのではない。だが、漫才で天下を取るために戦う2人を描く。みんな自分が何ものなのか、なんて知らない。知らないけど、必死に生きる、生きているうちに気付く。それでいい。野球命の2人が、やがて漫才をする。歌手にもなる。まだまだ、進化の過程だった。映画は彼らが駆け抜けた10年間をそのまま見せる。それだけ。そこには意味なんかいらない。意味は後から誰かがつけてくれる。おれらには関係ないし。

高山監督が映画監督として才能があるかどうかなんか、どうでもいいことだ。彼は監督になりたかったのではない。この映画を作りたかった。ただ、それだけ。河本のことをスクリーンに刻みたかった。これはそんな映画だ。


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