改めまして。高倉健を主人公にしたらいいような小説、と先に書いた。でも、この主人公の中年男はそんなかっこいい存在ではない。家族がばらばらになり、心細い。自分のせいで妻を失った。独立したはずの子供たちは厄介事を抱えて、彼を悩ませる。さらには、家を出てほかの男と再婚した妻が苦しんでいることを知る。
50歳を目前にして、彼の人生は、もしかしたら、今、一番、大事な局面を迎えているのかもしれない。ばらばらになった家族の再生への道を描く長編。主人公の利一を中心にして、彼の家族、さらにはその周辺のさまざまな人々のドラマが交錯する。語り手は利一だけではない。思いもかけない人物の1人称にもなる。そんな視点の交錯が、この作品を支える。誰かのお話、ではない。誰ものお話なのだ。みんなそれぞれの悩みや苦しみを抱えている。自分の選択が間違いであったかも、と不安になることも多々ある。だが、もう今から引き返せない。遡れるのなら、そこからやり直したいなんて、みんなが思うことだろう。なぜ、妻を大切にできなかったのか。彼女を追い込んだのは自分だ、と思う。だが、あの時にはそうは思えなかった。わからなかったのだ。自分には見えない彼女の気持ちを思いやる余裕もなかった。それはまだ、幼かった2人の子供たちの気持ちも、である。16年前。30になったばかりでは、そうだろう。
自分が30歳だった頃、そして、今50代になってみて、わかることがある。この小説の主人公とほぼ同世代だからかもしれないが、ここに描かれることのひとつひとつが他人事には思えない。だから、彼がどう選択するか、ドキドキした。特に、別れた妻の父親の介護を巡るドラマは切実だ。今、自分の母親の介護を巡る様々な問題を抱えているから、気になる。
同時に息子と娘の話も、気になる。彼らが、これからどう生きていくのか。簡単ではない。20代の男女が、この先をどう見据えて、生きたらいいか。不安だらけだ。ここには彼らだけではなく、あらゆる世代の問題が散りばめられてある。みんながみんなそれぞれの視点から、この小説に向き合える。「この夜を越えたら、きっと希望が待っている」というっ調子にいいコピーが帯には書かれてあるけど、そんなものではない、もっと複雑な「何か」にこの小説を通して出会えれるはずだ。