よくできた小説を読み終えたとき、なんとも言い難い寂しさに襲われることがある。心地よい世界の余韻に浸りながらも、もうここにはこれ以上いられないという事実に怯える。小説は終わった。ここからは、ただの日常だ。いい映画を見終えたときも同じだ。スクリーンが明るくなり、みんなが劇場を出ていく。もっとあの甘美な世界に浸っていたいのに現実は容赦ない。
この小説の主人公は、東京に出て10年になる男性だ。故郷のことなんか忘れて、あたりまえのようにここで暮らしていた。だが、その忘れていた故郷の町に戻らなくてはならない事態に直面する。有無を言わさず、新幹線に押し込まれ、N市に向かう。
ここから、彼が向き合いたくもなかった「棄ててきたはずの故郷」との日々が始まる。チョコレートのにおいが嫌いだった。ここには大きなチョコレート工場があり、町中にいつもその甘いにおいが充満している。それが彼はたまらなかった。
家族も嫌いだった。いい加減な両親も、兄も。友だちも嫌いだった。狭い町が鬱陶しかった。でも、そんなこと、ただの言い訳でしかない。東京に行けば輝く未来がある、と信じたわけではない。そんなことはわかってる。ただ、逃げ出したかっただけなのだ。閉鎖的な田舎のすべてが嫌だったのだ。18歳の少年には。
あれから10年になる。仕事のためとはいえ突然の帰郷は嫌な記憶を甦らせるばかりだった。だが、大人になった友人たちと再会し、かっての恋人とも遭って、現地にある支店の臨時店長を任され、そこの同僚と過ごすうちに、あんなにも嫌だったこの町が少しずつ好きになっていく。
あまりにおきまりの展開で、なんの目新しい内容もない。どうってことのない小説である。だいたい今回は、飛鳥井千砂の小説としてはあまりにありきたりで、がっかりである。なのに、このありきたりがなんだか心地よかったのだ。ぬるい展開と、おきまりのお話にどっぷり浸かることが快感だった。330頁という適度な長さもよかった。朝から帰りの電車まで、たった1日で読み終えた。(学研都市線がまた人身事故で、なんと1時間半も電車の中に閉じ込められたから)
ちょっとした小旅行に行った気分だ。しばらく旅に行ってない。夏は忙しくてどこにも行けなかったからだ。この小説がまるで旅のような気分にさせてくれた。生きていることが旅のようなものだ、と芭蕉先生は言う。このほんのちょっとした自分のルーツをたどる旅が、僕の疲れた心にはなんだかとても心地よかった。
この小説の主人公は、東京に出て10年になる男性だ。故郷のことなんか忘れて、あたりまえのようにここで暮らしていた。だが、その忘れていた故郷の町に戻らなくてはならない事態に直面する。有無を言わさず、新幹線に押し込まれ、N市に向かう。
ここから、彼が向き合いたくもなかった「棄ててきたはずの故郷」との日々が始まる。チョコレートのにおいが嫌いだった。ここには大きなチョコレート工場があり、町中にいつもその甘いにおいが充満している。それが彼はたまらなかった。
家族も嫌いだった。いい加減な両親も、兄も。友だちも嫌いだった。狭い町が鬱陶しかった。でも、そんなこと、ただの言い訳でしかない。東京に行けば輝く未来がある、と信じたわけではない。そんなことはわかってる。ただ、逃げ出したかっただけなのだ。閉鎖的な田舎のすべてが嫌だったのだ。18歳の少年には。
あれから10年になる。仕事のためとはいえ突然の帰郷は嫌な記憶を甦らせるばかりだった。だが、大人になった友人たちと再会し、かっての恋人とも遭って、現地にある支店の臨時店長を任され、そこの同僚と過ごすうちに、あんなにも嫌だったこの町が少しずつ好きになっていく。
あまりにおきまりの展開で、なんの目新しい内容もない。どうってことのない小説である。だいたい今回は、飛鳥井千砂の小説としてはあまりにありきたりで、がっかりである。なのに、このありきたりがなんだか心地よかったのだ。ぬるい展開と、おきまりのお話にどっぷり浸かることが快感だった。330頁という適度な長さもよかった。朝から帰りの電車まで、たった1日で読み終えた。(学研都市線がまた人身事故で、なんと1時間半も電車の中に閉じ込められたから)
ちょっとした小旅行に行った気分だ。しばらく旅に行ってない。夏は忙しくてどこにも行けなかったからだ。この小説がまるで旅のような気分にさせてくれた。生きていることが旅のようなものだ、と芭蕉先生は言う。このほんのちょっとした自分のルーツをたどる旅が、僕の疲れた心にはなんだかとても心地よかった。