これもまた、とても見たかった映画なのに、見逃していた映画だ。そして『迫り来る嵐』と同じようにモヤモヤする映画だ。期待したものとはまるで違う。まぁ、これもまた自分の勝手な思い込みだから、仕方ない話なのだが。それにしても僕も妄想が激しい。自分の好みの映画を思い込みで作っているみたいだ。
メアリーが自分の小説を書く。作家になるというのが彼女の夢でその実現までの軌跡が描かれる映画であることは確かなことだが、でも、そんなものが見たかったわけではない。『フランケンシュタイン』という怪奇小説がどういう経緯から生まれたのか、ということが大事なのではなく、200年前の女性がどんな立場にあり、どういう生き方しかできなかったのか、とか、そんなこともどうでもいい。では僕は何を期待したのか。
自分の子供を作ること。彼女は確かに出産する。でも、子供は死んでしまう。だから、彼女は人造人間を作る男を描いた怪奇小説を書く。極端だろ、それって。そういう展開についていけない、とも思う。でも、それがこの映画の魅力なのか? よくわからない。
狂気に取り憑かれる、というところもなんだか、『迫り来る嵐』と似ている、というと、それもまた僕の勝手な妄想かも。でも、何かに取り憑かれる、それがエスカレートする、というのも同じ。
どうしようもない男と付き合い、身を持ち崩す女の話。実をいうとこれはそういう映画なのだ。『少女は自転車に乗って』のハイファ・アル=マンスールの新作だから見たかったのだが、思いもしない映画で戸惑った。だけど、これは青春映画だと理解すると、納得するところもある。10代の少女がイケメンの女たらしに恋して、ボロボロになる。でも、そこから彼女は自分を見出す。小説家になるという夢を実現する話でもあるのだけど、それってなんだかなぁ、というところでもある。いい映画だったと手放しでは喜べないくらいにイライラさせられる。それだからこそハイファ・アル=マンスール、さすがだ、という解釈もありだろうけれど。
何かを生み出すためには何が必要なのか。彼女のおバカな行為を見ながら、それにイライラしながら、でも、人間ってこんなものかも、とも思いながら、だって10代って本人が思うほど賢くないし。でも、そこから人は何かを学ぶ、かもしれない、とか。彼女がラストで連れていた子供は誰の子供なのか、最後までモヤモヤさせられる。