なんだかとても寂しい映画だった。それは、いいとか、わるいとかのことではない。この映画の気分の問題である。夏休み、ヨーコさん(竹内結子)が家にやってきて、彼女と過ごした20年も前の思い出が甦ってくる。これはそんな記憶を辿る物語。
さらりとしたタッチで回想されていく。ヨーコさんはとても男らしい女性で、こだわりがなく、元気で、私はそんな彼女に惹かれていった。でも、表面的には、そっけなく振舞う。だって、母親が家出した、数日後、家にやってきて食事の世話なんかをするのである。きっと父親の恋人かなにかで、本当なら反発しなくてはならないところなのに、自分にはそれができなくて、ついつい彼女のペースに巻き込まれていく。でも、そんな自分が嫌ではない。これは、そんな10歳の少女の物語である。
母が嫌いだったわけではない。女にだらしない父も嫌いではない。自分は少し引っ込み思案で、何ひとつ思い切ったことも出来ず、小4になるのに、自転車にも乗れないし、歯が溶けるからと、母に言われ怖くてコーラも飲んだことがない。自分の意志を表に出すのは苦手で、それはもうすぐ30歳になる今も全く変わることがない。
なぜかあの夏、ヨーコさんと過ごした時間を思い出す。理由はよく解らない。弟が結婚すること。今も自分はひとりで生きていること。あの夏が特別の夏だったというわけではない。何の変哲もない夏だったのかもしれない。家出した母は戻ってきてヨーコさんは出て行き、自分は母とこの家を出ることになる。今思い返すと、この家で過ごした最期の夏だった。
ヨーコさんのおかげで、自転車にも乗れるようになったし、コーラも飲めるようになった。だが、自分の本質は変わらない。何ひとつ変わることなく、今もこうしてあの頃のまま生きている。
サイドカーに乗った犬の話をヨーコさんに話した。自分はあの犬と同じだと思う。それは情けないことでも、幸福なことでもない。ただ、なんとなくそう思う。
この映画を見ながら、なぜこんなにも何も起こらない映画なのだろう、と思った。原作が長嶋有で、こんな感じだし、根岸吉太郎監督は最近、映画の中であまり自己主張しない。ありのままを描いて見せることが多い。今回は、特にさりげない。
いい映画だと思う。押し付けがましさがない。もう忘れてしまってもいいような、ひと夏の記憶が、なぜか鮮明に残っていることもある。この映画はそんな思い出の映画だ。
さらりとしたタッチで回想されていく。ヨーコさんはとても男らしい女性で、こだわりがなく、元気で、私はそんな彼女に惹かれていった。でも、表面的には、そっけなく振舞う。だって、母親が家出した、数日後、家にやってきて食事の世話なんかをするのである。きっと父親の恋人かなにかで、本当なら反発しなくてはならないところなのに、自分にはそれができなくて、ついつい彼女のペースに巻き込まれていく。でも、そんな自分が嫌ではない。これは、そんな10歳の少女の物語である。
母が嫌いだったわけではない。女にだらしない父も嫌いではない。自分は少し引っ込み思案で、何ひとつ思い切ったことも出来ず、小4になるのに、自転車にも乗れないし、歯が溶けるからと、母に言われ怖くてコーラも飲んだことがない。自分の意志を表に出すのは苦手で、それはもうすぐ30歳になる今も全く変わることがない。
なぜかあの夏、ヨーコさんと過ごした時間を思い出す。理由はよく解らない。弟が結婚すること。今も自分はひとりで生きていること。あの夏が特別の夏だったというわけではない。何の変哲もない夏だったのかもしれない。家出した母は戻ってきてヨーコさんは出て行き、自分は母とこの家を出ることになる。今思い返すと、この家で過ごした最期の夏だった。
ヨーコさんのおかげで、自転車にも乗れるようになったし、コーラも飲めるようになった。だが、自分の本質は変わらない。何ひとつ変わることなく、今もこうしてあの頃のまま生きている。
サイドカーに乗った犬の話をヨーコさんに話した。自分はあの犬と同じだと思う。それは情けないことでも、幸福なことでもない。ただ、なんとなくそう思う。
この映画を見ながら、なぜこんなにも何も起こらない映画なのだろう、と思った。原作が長嶋有で、こんな感じだし、根岸吉太郎監督は最近、映画の中であまり自己主張しない。ありのままを描いて見せることが多い。今回は、特にさりげない。
いい映画だと思う。押し付けがましさがない。もう忘れてしまってもいいような、ひと夏の記憶が、なぜか鮮明に残っていることもある。この映画はそんな思い出の映画だ。