くじら企画の第1回作品を再演する。これは先行する配信によるリーディング作品を受けての本公演だ。今回、演出のクレジットが初めて後藤小寿枝になった。これまでも実質は彼女が演出を担当してきたのだが、あくまでも大竹野正典演出、あるいは「くじら企画」演出という表記に拘ってきた。
どういう心境の変化か。少し気になった。25年の歳月を経ての再演。しかもオリジナルキャストの3人が揃った。30代だった彼らは60代になる。秋月雁さんに至ってはもう70になった。そんな彼らが再びこの3人芝居に挑む。これは作,大竹野正典、演出,後藤小寿枝によるシン・くじら企画だ。60代に達したスタッフ、キャストによる新しい挑戦が始まる。
なんだか、とても暖かい芝居になっている。そこは初演とはまるで違う。余裕ではなく、諦めでもなく、不思議な達観がそこからは漂ってくる。年寄りが無理しているのではなく、自然体でそこにいる。ギラギラしたものは、もうない。3人はそれぞれのダンボールに包まれて安住している。でも、彼らは孤独ではない。仲間がすぐ横にいるからだ。この微妙な距離感を楽しんでいる。
スナメリ(戎屋海老)は家族を捨てた。逃げてきた。妻子が嫌いになったのではない。疎ましいのでもない。どちらかというと、愛おしい。だから、棄てた。そんな彼が同じように家族を失ったふたりと高架下で暮らす。ダンボール集めや日雇い労働に勤しむ。やがて、労働者の弁当を掠め取る。それは犯罪だ。さらに放火に至っては、弁明の余地もない。犬小屋だけでもも大概だが、次の標的は妻子の暮らす棄ててきた自分の家である。
この作品を通して、犯罪者に寄り添う芝居を書いてきた大竹野正典のリスタートを改めて見る。そこには誰もが抱える孤独が際立つ。僕はこれを暖かい芝居と先に書いたが、これはもうメルヘンの世界なのだ。現実は過酷でこんな甘いものではない。だが、だからこそ彼はこの世界を描いた。
25年を経て再びこの作品と向き合う事の意味を問う。初めて見た人には何が見えたか。そして、この芝居は古くて、新しい。
くじら企画はこの作品から新しいステージに立つ。このくじら企画の第一作再演はもう一度ここから一体どこまで行けるのかへの挑戦だ。大竹野が亡くなった後も残された彼の作品をいつまでも上演続けるくじら企画。小劇場界にこんな劇団は(たぶん)どこにもない。