久々に野江の未来ワーク・スタジオを飛び出しての劇場公演。東大阪市文化創造館小ホールだ。小ホールだけどキャパは300席はありそうだ。勝負作ということになるだろう。脚本を南出謙吾に依頼した。彼による書下ろし新作をいつも通り、しまよしみち演出で贈る。しまが劇団未来の演出を担当するようになり、もうすぐ10年になる。最初は様々なジャンルに挑戦して研鑽を積んできたが、その変わり目となったのは南出による『ずぶ濡れのハト』だろう。だからこそ、今回の公演台本を彼に依頼した。あれはしまの初期の代表作となった『その頬、熱線に焼かれ』(シリアスなテーマを正攻法で見せた秀作)の1年後の作品だった。あの作品のテイストは今回の作品にも引き継がれた。それは日常の小さな出来事を丁寧に見せることだ。テーマ主義になることなく、津田梅子という女の子目線で目の前の世界を描いた。
これは劇団創立60周年記念作品シリーズの最終作品である第3弾だ。力が入らないわけはない。途中休憩を挟んで2時間20分の大作である。なのに、変な力がこもった作品にはなっていない。それどころか、ちゃんと力が抜けている。まずそれは台本の力だろう。南出はこれを歴史大作ではなく、ひとりの女の子の頑張りを描く作品として書いた。
これが気合いを入れて作った作品であることは当然のことなのだが、それが空回りしては意味がない。しまよしみちとそのチームはいつも通りに自分たちの信じるやり方で作品と向き合う。脚本同様肩肘張った大作仕様ではなく、梅という女性のまっすぐな生き方と寄り添う作品にした。その姿勢は今回の主人公のあり方にも反映されている。
主人公の津田梅子は、とても「困ったちゃん」で、周りは彼女に振り回されていく。みんな優しいからいいけど、すごく迷惑。でも彼女は自分を曲げない。一直線に無謀に突き進む。これをただの偉人伝なんかにはしないのがいい。5歳でアメリカに留学して10数年、帰国して日本のために働く覚悟だったのに、仕事すら与えられない。満足に日本語を話せない彼女は厄介者扱い。時代はまだ、明治の初め。女性が生きやすい時代ではない。(まぁ、今だって変わらないけど)日本はまだ世界から大きく水を空けられていた頃。梅の焦る気持ちは彼女だけの問題ではなくこの国全体の想いでもある。
自己中心的な行為は周囲を巻き込む。だが、彼女の教育への心情は自らの体験に根差し、頑なだが、間違いはない。全力で突き進む姿を軽快なテンポで見せていく。主人公の梅を演じたのは肉戸恵美。彼女を中心にした女性たちの群像劇にもなっている。捨松を演じた前田都貴子、下田歌子を演じた池田可南子、永井繁を演じた北条あすか、劇団未来の女優たちが輝いている。いい作品を見た。