三池崇史の快進撃はどこまでも続く。さすがに、今回はつまらなかったけど、でも、こういうばかばかしい映画を本気で撮る彼は好き。エンタメとして、よく出来ている。それだけで、充分だ、という人もいるだろう。だが、僕はそういうのは嫌だから、これでは納得しないけど、否定はしない。
いきなり、この不条理のただなかに叩き込まれる。問答無用だ。1時限目。だるまさんが転んだ。スプラッターではない。でも、ただの冗談でもない。ありえないことを、現実として受け入れなくてはならない。死にたくはない。ある日、学校でそれは起こった。
ゲーム感覚で、見ているわけではない。これは彼らにとって命がけのゲームだ。どんどん死んでいく。ひとつクリアしても、また、次のステージが待つ。際限無い。ゲームのように、人が死ぬ。意味もなく。なぜ、どうして、こうなるのか。そんなもの、わかるはずもないし、考えている暇もない。必死に戦うしかない。『バイオハザード』は、どこまでエスカレートしても、安心して見ていられる。あれはゲームのような映画だからだ。でも、これはそうじゃない。冗談のような現実だ。
この映画の距離感がいい。不安に叩き込まれる彼らを、感情移入して見ていられる。見ている僕たちにも余裕がないからだ。この先の読めない展開が、そうさせる。だが、さすがにそれだけで2時間はきつい。いきなりの幕切れもこの映画なら充分あり得る。それでいい。
でも、それだけでは、物足りないこともまた、事実だ。まだ、意味を追いかけているのか。でも、意味を超越する衝撃はここにはない。だから、作品として失敗作だと思う。神さま(なんと、リリーフランキー)の登場くらいではインパクトがないし、30過ぎの引きこもりの男(なんと、大森南朋)が、世界を救うために部屋から出ていくという、エピソードも不発だ。このふたつのラストが、全体をちゃんと引き締めたなら、これは傑作になったかもしれない。後、少し何かが足りない。それがリリーと大森のバトルシーンである必要はないし、それは、ない、ない、なのだが。それくらいの衝撃を用意しなくては収まらない、ということなのだ。