あまりのそっけないタイトルにそれはないでしょ、と思った。しかも、主人公は長距離夜行バスの運転手だ。それって、ただのまんまじゃん、と思う。でも、この暗く切なく長い小説(450ページほどもある)を読んでいると、だんだんそのシンプルなタイトルに込められた意味が胸に滲みてくる。この男は、30年前の高倉健が演じて欲しい。
先日亡くなられた時、あと1本健さんが映画を撮るなら、何がよかっただろうか、と考えた。もう一度だけでいい。健さんの映画が見たい、ときっと誰もが思っているはずだ。今、劇場では追悼上映会が盛んになされている。TVでもやっているが、健さんにはスクリーンがよく似合う。
そんな健さんの遺作となったのは6年前の『あなたへ』だ。旧友、降旗康男監督が、健さんのためだけに作った。映画は健さんの最期を意識した作品だった。もちろん、健さんは寡黙でかっこよかった。だが、もうちゃんと歩けない。(このブログの『あなたへ』の項でもそこには触れた)痛ましかった。でも、健さんはスクリーンの中で颯爽としていた。
年老いた健さんが老人の役でスクリーンに登場するのは誰も許さない。そんなの、ありえないことだ。いくつになっても健さんはみんなのヒーローで、肩で風切り歩いていく。唐獅子牡丹。
僕の健さんは高校生の時に見た『新幹線大爆破』の主人公だ。つぶれた町工場の社長で、新幹線に爆弾を仕掛け政府を脅す犯人が、健さん。それまでの常識を覆すキャスティングだった、はずだ。だが、あの映画の彼はしびれるほどかっこよかった。世の中の不条理に、何も言わずに牙をむく彼は、本物のヒーローだ。あの1本で僕は健さんの虜になった。それ以降のすべての映画を、全部、劇場で、リアルタイムに見た。
健さんは一切妥協しない。自分の信じた映画にしか出ない。チャン・イーモウ監督の『単騎千里を走る』は、中国でも見た。中国人のヒーローでもある健さんを見たかった。北京の街中には夥しい数の健さんのポスターが貼られていた。壮観だった。
50歳の健さんならこの小説の主人公のオファーを受けただろう。それくらいにこの小説の主人公の利一という男は健さんに似合う。武骨で、寡黙で、優しい。50歳の健さんって、それって、今の僕よりも若い。そのことに気付き、なんだかうろたえる。健さんが『新幹線大爆破』の出たのは40代の前半。そして、『幸せの黄色いハンカチ』は50歳くらいか。僕は40代から50代の健さんを憧れを込めて見たことになる。あの頃の健さんより年上になった自分がここにいる。