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映画・演劇のレビュー

『インターステラー』

2014-11-27 21:47:28 | 映画
クリストファー・ノーランが挑むこの超大作映画は、スピルバーグとキューブリックが合体したような作品だ。しかも、3時間に及ぶ(厳密に言うと2時間49分)という長尺は、今時のハリウッド映画には普通はない。これはノーランならではの特例であろう。

そこに作家としての心意気を感じる。これは彼にとって大きな挑戦だ。しかもちゃんとフィルム撮りされたらしい。とことん拘りに貫かれた作品だ。大体こういうタイプのSF映画は、最近ではもう作られない。はやりすたりで言うと、今はもうはやらない映画だ。予算はかかるし、興行的にも難しい。だからこそ、やる。

単純な娯楽映画ではないけど、難解な映画でもない。ファミリー・ピクチャーとしての枠組みはちゃんと守りながら、作家の映画としての矜持も守る。ただ、3時間はさすがに長い。これだけの長さが果たして必要だったのか、というといささか疑問もある。

近未来の世界で、環境の変化による食糧危機から人類は滅んで行こうとしている。そんな中、生き残りをかけての挑戦が描かれる。やがて、それは宇宙の神秘みたいなお話に収斂させていくのだが、なんだかそこには無理がある。

宇宙飛行士の父と、娘のお話で、ふたりの再会までが描かれる。必ず約束を果たす、と父は言ったから、帰ってくる。その日を待つ。だが、その日は果たして訪れるのか。親子の絆が壮大なスケールで描かれていく。そのへんはスピルバーグしている。だが、宇宙空間で迷子になった父がさまよう5次元の世界は、まるでキューブリックの『2001年宇宙の旅』だ。でも、哲学的で難解な映画にはならない。

それにしても、地球を棄てて人類が新たな世界を開拓する、なんていうお話は今まで何度となく描かれたことだ。何をいまさら、とも思う。だが、それをこれだけのスケールの本気モードで描いた作品は実は少ない。なぜか、このパターンはちゃちな作品になったり、エイリアンが出てきての戦闘モードになるからだ。要するに、それだけでは話が単調になるからだろう。この映画はそのへんのバランス感覚がいい。エイリアンなんか出ないし。

だが、最初は一体何が起きているのか、どうなるのか、わからないまま引っ張られたのに、徐々におきまりのパターンになり、退屈する。中盤以降の中だるみが、惜しい。しかも、宇宙の話になってからの展開がつまらない。壮大なスケールになればなるほど、つまらなくなるのだ。農場での日常を描いていたシーンのドキドキは宇宙空間ではなくなる。リアルな描写を見失うのだ。残念ながらこれでは失敗作というしかない。

何がしたかったのだろうか。そういう根本的なところから、問い直したい。見終えてがっかりするのは、そこなのだ。作者の意図が見えてこない。これだけの覚悟をもって挑んだはずなのに、それが見失われるって何だろうか。映画の内容以上にまずそこが一番不思議だ。


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