まさか今頃太宰を読むなんて思いもしなかった。授業で『富嶽百景』とか『待つ』なんかをよくやるからその時はテキストを読むけど、自分の読書で読むなんて高校時代以来ではないか。しかも『津軽』はたぶん読んでいない。だから今回が初読であろう。たまたま図書館の新刊の棚で見かけたから手にとってしまった。この本は133刷である。2024年3月発行。文庫の初刊は1951年8月らしい。凄いロングセラーだ。
たった3週間の旅の記録である。これは『富嶽百景』に通じる穏やかな太宰だ。故郷津軽の優しい人たちと接して、幸せな気分になる。『斜陽』『人間失格』の激しい彼とは違う。少し物足りないけど、それがいい。だけど読み進めながら、徐々に少し退屈してくる。こんな極私的な記録を読んでも仕方ないんじゃないか、と。
だけどやがて明白になる。これは「たけ」に会うための旅だったことに。ラスト30ページほどの圧倒的な筆力。これは『富嶽百景』に匹敵する。太宰が書きたかったのはこのことだったんだと思う。運動会に行き、タケに会えなくてハラを立ててもう帰ろうとするシーンから、再び家を訪ね偶然タケの娘に会えて、ついにタケと再会する場面がクライマックスである。このエピソードを書くためだけにこの小説はあったのだ。30年前、3歳だった修治は、たけに育てられた。これはあの日に帰って行くための旅。
そしてラスト30ページにさしかかった時、僕は気づいていた。確かにこの小説は以前読んでいるということに。いつだったかは忘れていたが、これは知っているとはっきり言える。読みながらわかって驚く。
だから読みながらなんだか懐かしい気分になった。そこには『富嶽百景』の宿屋の娘さんの場面やラストの写真のシーンに匹敵する素晴らしいドラマがさりげなく提示される。
中高性の時、近代文学の名作は貪るように読んでいた。太宰も芥川も。だけど、20代以降はほとんど読んでいない。今回も昨年川端康成の『掌の小説』『みずうみ』を読んで以来の古典作品である。いい本だった。読んでよかった。