
とても困難なことに挑戦している。それを外輪能隆さんは、とても飄々と自由自在にやり遂げてしまう。なぜ、オペラなのか、とずっと問いかけながらこの舞台を見続けていた。ラストまで見たなら、きっとその答えが見えてくるか、と思いながら。しかし、残念ながら明確な答えは見えてこなかった。
終演後、それがとても気になったから、雑談の途中でその件に触れてみた。すると外輪さんはニコニコしながら「いやぁ、オペラにしたなら面白いかなぁ、なんて思っただけで」なんて言うのである。もちろん彼の中にはいろんな理由もある。だけど、一番の理由は案外そんな簡単なことだったのかもしれない。外輪さんの遊び心が、こういう大変な冒険に彼を駆り立てる。そう考えるとそれもまた面白い。
この素材を扱うのならオペラではなく、ストレート・プレイのほうが断然面白いはずだ。きっと1月東京でのみ上演された演劇版の方が完成度も高かっただろう。外輪さんらしい透明感溢れる静謐な舞台だったろうと想像する。それを、オペラとして、リニューアルして見せることで、彼女たちの心に秘めた表面には出ることのない感情が、すべて表に表出することになる。
この狭い家に閉じ込められた5人の姉妹たちの鬱屈した感情がオペラという表現で描かれることで、最初から内側から外に洩れてしまう。洩れるというより爆発してしまうことになる。抑えられた感情を描くにはオペラという表現は合わない。それどころか水と油ではないか。だが、敢えて外輪さんは、こういう形でこの題材に挑む。内に貯めた熱いものを噴出させることで、ある種の静謐に行き着く。そんな可能性にこの作品は挑戦している。
約40のボウルが天井から吊るされている。整然と4列に並んで、上を向いたステンレスのボウルの中には、豆電球が仕掛けられてある。それらが、ちょうど5人の役者(オペラ歌手が演じる)たちの胸のあたりにくる。歩くとき、彼女たちはそれを掻き分けて移動することになる。さらには彼女たちがそれにぶつかることで金属音がホール内にこだまする。それらが、ぶつかり合い、絡み合う様は圧巻である。さらには、彼女たちがかがむと体はこのボウルの群れの下になる。そこに生まれる圧迫感。
そして、上下する中央の布も、彼女たちの閉ざされた心を寸断する仕掛けになる。これはスクリーンにもなっており、そこには舞台上には不在の(観客には見えないだけ)母親ベルナルダの言葉が字幕として投影される。字幕と同時に5人の女たちが同時に発する歌声は威圧感がある。ここには見えない母親の大きな存在が彼女たちを覆う。眠る5人の女たちの上にギロチンのようにこの布が下りてくる。
不在の母親は誰かが演じるでもなく、姿が見えないことでいつも、どこにでも母の目があることを象徴する。5人の上に大きな影を落とす。
黒と紺を基調にした衣装と舞台空間の中、喪に服す6人(母親もいるからだ)の女たち。父親の死により8年間の長きに亘って、姉妹たちは家の中に幽閉される。そんな中で、彼女たちの心のざわめきを長女の婚約者と末娘の恋を通して描く。
激しい感情が、この静かな時空間の中で、オペラという表現を通して見せていかれる。ヒリヒリするような痛みが、緊張を伴って、美しい歌声の中で描かれていくことになる。これは間違いなく今年最高にスリリングな舞台である。
終演後、それがとても気になったから、雑談の途中でその件に触れてみた。すると外輪さんはニコニコしながら「いやぁ、オペラにしたなら面白いかなぁ、なんて思っただけで」なんて言うのである。もちろん彼の中にはいろんな理由もある。だけど、一番の理由は案外そんな簡単なことだったのかもしれない。外輪さんの遊び心が、こういう大変な冒険に彼を駆り立てる。そう考えるとそれもまた面白い。
この素材を扱うのならオペラではなく、ストレート・プレイのほうが断然面白いはずだ。きっと1月東京でのみ上演された演劇版の方が完成度も高かっただろう。外輪さんらしい透明感溢れる静謐な舞台だったろうと想像する。それを、オペラとして、リニューアルして見せることで、彼女たちの心に秘めた表面には出ることのない感情が、すべて表に表出することになる。
この狭い家に閉じ込められた5人の姉妹たちの鬱屈した感情がオペラという表現で描かれることで、最初から内側から外に洩れてしまう。洩れるというより爆発してしまうことになる。抑えられた感情を描くにはオペラという表現は合わない。それどころか水と油ではないか。だが、敢えて外輪さんは、こういう形でこの題材に挑む。内に貯めた熱いものを噴出させることで、ある種の静謐に行き着く。そんな可能性にこの作品は挑戦している。
約40のボウルが天井から吊るされている。整然と4列に並んで、上を向いたステンレスのボウルの中には、豆電球が仕掛けられてある。それらが、ちょうど5人の役者(オペラ歌手が演じる)たちの胸のあたりにくる。歩くとき、彼女たちはそれを掻き分けて移動することになる。さらには彼女たちがそれにぶつかることで金属音がホール内にこだまする。それらが、ぶつかり合い、絡み合う様は圧巻である。さらには、彼女たちがかがむと体はこのボウルの群れの下になる。そこに生まれる圧迫感。
そして、上下する中央の布も、彼女たちの閉ざされた心を寸断する仕掛けになる。これはスクリーンにもなっており、そこには舞台上には不在の(観客には見えないだけ)母親ベルナルダの言葉が字幕として投影される。字幕と同時に5人の女たちが同時に発する歌声は威圧感がある。ここには見えない母親の大きな存在が彼女たちを覆う。眠る5人の女たちの上にギロチンのようにこの布が下りてくる。
不在の母親は誰かが演じるでもなく、姿が見えないことでいつも、どこにでも母の目があることを象徴する。5人の上に大きな影を落とす。
黒と紺を基調にした衣装と舞台空間の中、喪に服す6人(母親もいるからだ)の女たち。父親の死により8年間の長きに亘って、姉妹たちは家の中に幽閉される。そんな中で、彼女たちの心のざわめきを長女の婚約者と末娘の恋を通して描く。
激しい感情が、この静かな時空間の中で、オペラという表現を通して見せていかれる。ヒリヒリするような痛みが、緊張を伴って、美しい歌声の中で描かれていくことになる。これは間違いなく今年最高にスリリングな舞台である。