もうまく基金チャリティイベント、と言われても、ピンとこない。網膜色素変性症なんて知らない。自分に関係ないから、と。薄情な話だが、僕たちの意識なんかそんなものなのだ。舞台監督の塚本修さんからメールを頂かなかったなら、絶対に行かなかったし、こういうイベントが行われていたことも知らなかった。でも、行ってよかった。大山さんによる渾身のパフォーマンスに感動した。彼女が網膜色素変性症である、ということを抜きにして、まずこの企画自体が素敵だったと思う。大切なことは、まずそのことであろう。これは網膜色素変性症の啓蒙のためだけのイベントではない。(もちろん、それが第一義であることは大前提なのだが)演劇作品としてとても刺激的なものに仕上がっている。それがうれしい。
4部構成で、それはこま切れではなく、一気に流れていくように構成されているのがいい。DJみのりろりん(大山果)による放送というスタイルで全体が構成されてある。2時間ほどの上演時間で、地下アイドルLIVE,大山果とゲストによるトーク(ゲストのパフォーマンス)、一人芝居、エンディング(全員参加型くらやみイベント)の4つからなる。
最初のライブシーンは、少し恥ずかしかったけど、あまり乗りのよくない観客を懸命に乗せようとしている彼女の誠実さがよかった。歌は決して上手くないけど、かわいいし(衣装がとても似合っていた)それより何より、一生懸命さが伝わってきてよかった。このイベントに於いて大切なことはまずそこだ。網膜色素変性症の彼女が自分たちの病気を理解してもらうため、伝えるために、何が必要かというと、彼女の全力での取り組みを受け止めてもらうことだ。そのためには、体を張ってライブを見せるしかあるまい。
僕が見た回は、ゲスト、山南あかねさんで、セクシーな彼女と、大山さんのトークの後、山南さんによる強烈なSMパフォーマンスが演じられる。ドキドキさせられた。一見、まるで本題とは関係なさげに見えるこのパフォーマンスは煽情的なものではなく、とても美しく今回のイベントを彩る。先のライブと同じように文字通り体を張ったものだ。
そして、今回のメインである一人芝居『ミズトラノオ』となる。2人芝居として書かれた作品を彼女の一人芝居へと作り直しての上演だ。そのため、いささか、全体の納まりがよくないけど、本来の共演者であった塚本さんの意図が伝わる作品に仕上がった。自分よりも相手役の塚本さんを前面に押し出した台本は彼の部分も自分で演じることで、とても困難なものとなった。大人の男を表現しきれないからだ。しかも、若い女と、中年男を演じ分けるだけの裁量はない。だが、そんな無謀を振られて、必死に演じるうちに、彼女はこの世界をすべて担い、引き受けることで、この作品世界を体現する。拙さも武器にして全力で演じた先に、ここで描きたかったものがちゃんと立ち上がることとなった。とても、感動的な作品となった。震災によって大切な人を失い、たったひとりになった男と、彼のために死んでしまった妻となり、よみがえった黒猫。心やさしいファンタジーは、大山さんの一人芝居として立ち上がることで、甘さを纏いつつも、こんなにも素直な感動を連れてくることとなった。
エンディングのイベントも、きっと彼女がどうしてもやりたかったことなのだろう。とても幸福な時間だった。
「もうまく基金イベント」としても、とてもよく出来ていたと思うし、これは、それだけではないものにちゃんとなっていたと思う。
4部構成で、それはこま切れではなく、一気に流れていくように構成されているのがいい。DJみのりろりん(大山果)による放送というスタイルで全体が構成されてある。2時間ほどの上演時間で、地下アイドルLIVE,大山果とゲストによるトーク(ゲストのパフォーマンス)、一人芝居、エンディング(全員参加型くらやみイベント)の4つからなる。
最初のライブシーンは、少し恥ずかしかったけど、あまり乗りのよくない観客を懸命に乗せようとしている彼女の誠実さがよかった。歌は決して上手くないけど、かわいいし(衣装がとても似合っていた)それより何より、一生懸命さが伝わってきてよかった。このイベントに於いて大切なことはまずそこだ。網膜色素変性症の彼女が自分たちの病気を理解してもらうため、伝えるために、何が必要かというと、彼女の全力での取り組みを受け止めてもらうことだ。そのためには、体を張ってライブを見せるしかあるまい。
僕が見た回は、ゲスト、山南あかねさんで、セクシーな彼女と、大山さんのトークの後、山南さんによる強烈なSMパフォーマンスが演じられる。ドキドキさせられた。一見、まるで本題とは関係なさげに見えるこのパフォーマンスは煽情的なものではなく、とても美しく今回のイベントを彩る。先のライブと同じように文字通り体を張ったものだ。
そして、今回のメインである一人芝居『ミズトラノオ』となる。2人芝居として書かれた作品を彼女の一人芝居へと作り直しての上演だ。そのため、いささか、全体の納まりがよくないけど、本来の共演者であった塚本さんの意図が伝わる作品に仕上がった。自分よりも相手役の塚本さんを前面に押し出した台本は彼の部分も自分で演じることで、とても困難なものとなった。大人の男を表現しきれないからだ。しかも、若い女と、中年男を演じ分けるだけの裁量はない。だが、そんな無謀を振られて、必死に演じるうちに、彼女はこの世界をすべて担い、引き受けることで、この作品世界を体現する。拙さも武器にして全力で演じた先に、ここで描きたかったものがちゃんと立ち上がることとなった。とても、感動的な作品となった。震災によって大切な人を失い、たったひとりになった男と、彼のために死んでしまった妻となり、よみがえった黒猫。心やさしいファンタジーは、大山さんの一人芝居として立ち上がることで、甘さを纏いつつも、こんなにも素直な感動を連れてくることとなった。
エンディングのイベントも、きっと彼女がどうしてもやりたかったことなのだろう。とても幸福な時間だった。
「もうまく基金イベント」としても、とてもよく出来ていたと思うし、これは、それだけではないものにちゃんとなっていたと思う。