前日に『ケイコ、目を澄ませて』を見ていたから、なんだか不思議な感じだ。これは同じように聴覚障害を持つボクサーのお話。たまたま2本連続で同じ設定の映画、芝居を見ることになった。偶然なのだがなんだか不思議な気分。そして2本とも素晴らしい作品だった。
2本はまるで一卵性双生児のように似ている。ケイコはしゃべらないけど、ひかるはとても饒舌。感情をストレートに表に出す。闘志をむき出しにする。喧嘩に勝つためにボクシングを始めるし、ジムの先輩である遥(のたにかな子)を倒すことを目標にする。手話を教えてくれる一恵(山口文子)が好きだから、彼女に手話を習う。そんなふうに内向的で誰にも心を開かないケイコとは真逆のキャラクターなのに、このふたりはとてもよく似ている。もちろん、それは2人が同じように耳が聞こえないからというわけではない。2人とも、自分が何をすべきなのかわからないでいるところが同じなのだ。そして、それだから彼らはボクシングをする。
ひかるは遥の試合を見て心揺さぶられる。本能が目覚める。ここからボクシングがしたいと本気で思うようになる。これは胸が熱くなる芝居だ。戦うことが何なのかを教えてくれる。前を向いて戦う。そして生きる意味を知る。
ただ少し気になったのは、この芝居の中で耳の聞こえないボクサーはプロにはなれないと言っていたことだ。昨日の映画で主人公の女性ボクサーはプロ選手としてリングに上がっていた。それってどういうことなんだろうか。余談だけど。
この芝居は主人公のひかる(薮田凜)が、試合に出てダウンするまでの9秒間を2時間で描く。倒れる瞬間にこれまでの自分の3年間が回想される。ボクシングを通して一人の青年が変わっていく。同時に手話を通して世界が広がっていく。ひかると真守(岡森祐太)は一心同体。ふたりでひとり。彼らの関係が最初は仲のいい友人だと思っていたが徐々にそうではないことが明確になっていく。脇を固める大人たちを演じる母親役の秋津ねを、ジムの会長役の青木祐也もいい味を見せる。彼らの視点があるからお話にふくらみが生じるのだ。