この不思議東京旅行記、かつ妄想小説に世界に耽溺する。2019年、コロナなんて想像もしない平和な東京にやってきたバリーとコジマの旅の記録だ。でも、この旅は「現実」だったはずなのにいつのまにか、この町で暮らす幽霊たちに誘われて、不思議な「妄想」世界に連れ去られる。東京という街自身がもともと現実なのに幻想のような場所で、今あるこの風景もほんの少し前には違う光景で、過去と現在が混在し、未来すらそこに顔を覗かせる。太宰と植木等のツーショットなんて想像するだけで楽しいけど、そういうのが平然と実現するのだ。東京タワーがエッフェル塔と重なり合い、階段で上ると、ヘルツウォークが待っている。
どこまでが現実でどこからが妄想なのか、なんてどうでもいい。1ヶ月のはずが、もしかしたら永遠にここにとどまってしまうかもしれないし、それは2,3日の短い旅だったのかもしれない。
昨年、凜、漣の七五三で、東京に行った。滞在期間は少し長くて6日くらいだったように思う。人形町のホテルに泊まった。そこから凜たちのおうちに通ったり、気の向くままに、いろんなところにフラフラ行ったりした。東京は楽しい。なんでもない町のかたすみで、とんでもないものが潜んでいる。この本を読みながら、あの6日間のことを思い出す。またこの6月に東京行こう、と思う。
さて、お話は後半に入るとなんだかタッチが変わってくる。1か月ほどの滞在にはずが、なんと1年に及び、コロナがやってくる。2020年春からの部分は読んでいて楽しくない。コロナのせいなんだが、それをあからさまに描くわけではなく、彼らの現実は妄想に侵食される状態を描くのだ。この小説の楽しさは現実と妄想が地続きにあるところから生じたのに、2020年からの描写は現実部分はほとんど消えていく。これは楽しい旅行記だったはずなのに、幻想小説に堕してしまうのだ。幽霊たちはそれまで以上に大挙して訪れ、生きている人の幽霊までもどんどん出てきた。生霊ではなく、若いころの彼らとか、そういう感じで。やがて自分たちの幽霊までもが登場する。やがては、ここ(旅先である東京)とそこ(自分たちが暮らす場所であるニューヨーク)の境界もなくなる。
最終章でケンジ(宮沢賢治)の幽霊が出てきて、お決まりのように銀河鉄道を旅する。コロナ禍で、東京オリンピックがなくなり(1年の延期だが)空白になった2020年東京。そんな空っぽの街を彼らが旅する姿は虚しい。